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ブルネイのイスラム|歴史と信仰の特徴

更新: 遠藤 理沙
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ブルネイのイスラム|歴史と信仰の特徴

ブルネイは、ボルネオ島北部に位置する人口約40万人規模の小さな産油国で、人口の約82%(2021年)がムスリムを占めるイスラム王国です。大多数はスンナ派シャーフィイー学派を信奉し、マレーシアやインドネシアと系統は近いものの、絶対君主制のもとで国家と信仰が強く結びついている点に独自性があります。

ブルネイは、ボルネオ島北部に位置する人口約40万人規模の小さな産油国で、人口の約82%(2021年)がムスリムを占めるイスラム王国です。
大多数はスンナ派シャーフィイー学派を信奉し、マレーシアやインドネシアと系統は近いものの、絶対君主制のもとで国家と信仰が強く結びついている点に独自性があります。
筆者がブルネイを訪れた際も、首都の中心にそびえる黄金ドームのモスクと、街全体に酒類の販売店が見当たらない静けさが、この国のイスラムの濃さを強く印象づけました。

ブルネイのイスラム化は14世紀末、初代スルタン・ムハンマド・シャーとなったアワン・アラク・ベタタールの改宗に始まります。
海の交易路を通じて伝わった信仰が支配層の改宗を契機に王国全体へ広がり、1363年から1368年ごろという幅を持ちながらも、14世紀後半が起点だと理解できます。

現代のブルネイでは、信仰は個人の内面にとどまらず、国是MIB(マレー・イスラム・君主制)やシャリア刑法として制度に組み込まれています。
2014年から段階導入され、2019年に完全施行されたこの体制は、学校教育、日常の礼拝、ラマダンの過ごし方、服装や飲酒への配慮まで、旅行者の振る舞いにもそのまま響きます。

この記事では、改宗から黄金時代、英保護領化、独立へ至る歴史と、国是・法・日常実践・モスク建築・旅行マナーという現代の特徴を、一本の線でたどります。
読後には、ブルネイがなぜイスラムを国家の背骨として保ち続けてきたのかを、自分の言葉で説明できるようになりましょう。

ブルネイはどんなイスラム国家か:まず押さえる3つの特徴

ブルネイのイスラムは、国教であること、王権と結びついた国是MIB、そしてスルタンが政治と宗教の権威を兼ねることによって、地域の他国よりも国家制度の中心に深く組み込まれています。
ムスリムは人口の約82%(2021年)を占め、多数派はマレー系、宗派はスンナ派、法学派はシャーフィイー学派が主流です。
つまり、信仰は個人の内面にとどまらず、法、教育、儀礼、王権の正統性を支える枠組みとして機能しているのです。

国教としてのイスラムとスンナ派シャーフィイー学派

ブルネイでは、イスラムが国教として明確に位置づけられています。
ムスリムは人口の約82%(2021年)を占め、その多数派はマレー系で、宗派はスンナ派、法学派はシャーフィイー学派が主流です。
ここで押さえたいのは、単に「ムスリムが多い」という話ではなく、国家の中心規範としてイスラムが働いている点でしょう。
信仰共同体の比率と、法学派まで含めた宗教的な標準が揃っているため、街の礼拝、食、祝祭、服装にいたるまで、日常の感覚がひとつの方向にまとまりやすいのです。

国是MIB:国の背骨になっている3本柱

ブルネイの国是MIBは、マレー語でMelayu Islam Beraja、つまりマレー主義・イスラム信仰・王政維持を意味します。
民族、宗教、王政の3要素を切り分けずに束ねている点が、この国の特徴です。
現地で国是MIBの話を聞くと、制度のスローガンというより、自分たちのあり方をそのまま言葉にしたものとして受け止められている印象が強く残ります。
複数のイスラム圏をフィールドワークしてきた経験から見ても、ブルネイは「国家とイスラムの距離がほぼゼロ」に近い稀有な国でした。
信仰が個人の選択を超え、国家アイデンティティそのものを支える背骨になっているからです。

要素内容国家の中での役割
マレー主義マレー語文化とマレー系共同体を基盤にする社会のまとまりをつくる
イスラム信仰宗教規範を公共空間に反映する価値判断の中心になる
王政維持スルタンを頂点とする統治を守る正統性の軸になる

宗教と政治を兼ねるスルタンという存在

ブルネイの国王はスルタンと呼ばれ、政治の実権を握るだけでなく、宗教上の権威でもあります。
政教が一人に集約されているため、信仰は統治の補助ではなく、統治そのものを支える正統性になります。
首都でオールドモスクとニューモスクを見比べると、その構図は建築の上でもはっきり見えてきます。
王権がモスクを整え、モスクが王権を象徴する。
そうした往復関係が、ブルネイのイスラムを外から見た以上に濃く感じさせるのです。
石油・天然ガス収入を背景にした小国であることも、この一体感をいっそう際立たせています。
なぜブルネイのイスラムは濃いのか。
その答えは、歴史のなかで王朝と信仰が切れずに重なり続けたことにあります。

イスラムが伝わるまで:14世紀の改宗とブルネイ王国の誕生

ブルネイのイスラム化は、海の交易路を通じて進んだ。
アラビアや中国・インドを結ぶネットワークの中で信仰が運ばれ、中国の記録では10世紀ごろにはブルネイ周辺でイスラムの存在が示唆されている。
つまり、宗教は征服によってではなく、港と交易の接点から根づいたのである。
現地の歴史資料館で初代スルタンの系譜が建国の物語として丁寧に語られていた光景を思い返すと、改宗が単なる信仰の変化ではなく、国家の始まりそのものとして記憶されてきたことがよくわかる。

海の交易路に乗ってきたイスラム

ブルネイに入ったイスラムは、まず商人たちの往来に乗って広がった。
海上交易が活発だった時代、港は財貨だけでなく、言葉や慣習、そして信仰が交わる場所でもあったからだ。
東南アジア各地のイスラム化の痕跡を訪ね歩くと、この「港から始まる広がり」は例外ではなく、むしろ共通した流れとして見えてくる。
ブルネイもその例にもれず、海の回路の中で早くからイスラムと接触していたと考えると理解しやすい。

中国の歴史記録が10世紀ごろにブルネイ周辺でイスラムの存在を示唆しているのは、その接触がかなり早かったことを示す手がかりだ。
まだ王国全体がイスラム化していたわけではないにせよ、周辺の交易圏に信仰が入り込み、地域社会の上層や港湾のネットワークに知られていた可能性は高い。
ここで注目したいのは、宗教が「外から押しつけられた」のではなく、経済活動と一体になって運ばれた点にある。
交易都市にまず信仰が根づくという流れは、ブルネイの後の歴史を読むうえでも鍵になる。

初代スルタンの改宗と王朝の始まり

決定的な転機は14世紀末だった。
マレー系の王アワン・アラク・ベタタールがイスラムに改宗し、初代スルタン・ムハンマド・シャーとして即位したことで、ブルネイは正式なイスラム王国、つまりスルタン国として歩み始める。
改宗が王位の継承と結びついたことで、信仰は個人の選択にとどまらず、王朝の正統性を支える制度へと変わった。
ここに、ブルネイ史の大きな分岐点がある。

初代スルタンの治世は、およそ1363年(一説に1368年)から1402年とされる。
年代に幅があるのは、史料が限られているためだが、それでも14世紀後半が起点だという線ははっきりしている。
こうした年代の揺れは、歴史を曖昧にするものではない。
むしろ、断片的な記録をつなぎながら、どこまで確実に言えるかを見極める作業そのものが重要になる。
王の改宗と即位が連続していたことを押さえるだけで、ブルネイの国家形成が宗教と切り離せないものだったと理解できるでしょう。

支配層から広がった信仰

ブルネイのイスラム化は、まず支配層から始まった。
王朝の中心がイスラムを受け入れると、王権の正統性と信仰が結びつき、その枠組みが社会全体へ少しずつ浸透していく。
トップダウンで広がるこの形は、改宗が「誰かの私的な信仰告白」ではなく、「国家のかたち」を変える出来事だったことを示している。
だからこそ、後世のブルネイで王権とイスラムが強く一体視される土台は、この時代にすでに作られていたのである。

現地で歴史資料を見ていると、初代スルタンの系譜は王家の由来としてだけでなく、共同体の始まりとして語られていた。
そこでは、宗教の受容と建国の物語が切り分けられていない。
改宗は支配者の宗教選択であると同時に、王国がどの価値を軸に自らを組み立てたのかを示す出来事だったのだ。
ブルネイの国教としてのイスラム、そして国是MIBにまで連なる流れを考えると、この14世紀の転換は遠い過去ではなく、現在の国家像の起点として読み直すことができます。

黄金時代と衰退:海洋帝国からイギリス保護領へ

16世紀のブルネイは、第5代スルタン・ボルキアの治世に海洋帝国として最盛期を迎えました。
ボルネオ島北部の沿岸、すなわち現在のブルネイ・サラワク・サバから、フィリピン南部のスールー諸島やマニラ周辺にまで影響圏が伸び、港と海路を結節点にした広域支配を築いていたのです。
王権の強さは軍事力だけでなく、交易を握ることで生まれる富と威信に支えられていました。

第5代スルタン・ボルキアと海洋帝国の最盛期

ブルネイの拡大を考えるうえで、地図の広がりは外せません。
王室秘宝や歴史展示で最盛期の版図を示す地図を見ると、現在の小国という印象との落差が際立ちますが、その違和感こそが、かつてのブルネイが島嶼世界の海上ネットワークを押さえていた証拠です。
香辛料や各地の物産が行き交う海上交易の要衝に位置したことで、ブルネイは中継地として富を蓄え、その富がスルタンの権威とイスラム王権の格式を支えました。

当時の人々にとって重要だったのは、領土の面積そのものより、海路を押さえることで周辺に影響力を及ぼせるかどうかでした。
陸続きの帝国とは異なり、港湾と航路の連なりが支配の実態をつくる海洋帝国だったからです。
展示の地図に目を移すと、広い青い海の上に点在する拠点が、単なる地理ではなく政治と信仰の結び目として読めてきます。

領土縮小とイギリス保護領化

19世紀に入ると、ブルネイは周辺勢力の台頭とヨーロッパ列強の進出に押され、支配領域を次第に失いました。
海を通じて広がった帝国は、同じ海を通じて外圧を受けることにもなり、交易の利点はそのまま競争の厳しさにも変わったのです。
1888年、ブルネイはイギリスと保護条約を結び保護領となり、約500年続いた帝国の独立は事実上ここで区切られました。

ただし、この転換は単純な断絶ではありません。
保護下に入っても王朝とイスラムの伝統は保たれ、統治の中心にスルタン家が残り続けました。
歴史展示を通して見えてくるのは、領土を失っても共同体の記憶までは失わなかったという事実です。
国民が王朝の連続性に強い誇りを抱くのは、その歴史が単なる過去ではなく、いまの自分たちの輪郭を形づくっているからでしょう。

1984年の独立と王政の存続

ブルネイは1984年に完全独立を達成し、スルタンを元首とする王政を存続させました。
植民地化の波をくぐり抜けた後も、王権が断絶せず、イスラムの宗教的な枠組みも社会の基調として残った点に、この国の独自性があります。
独立は単に主権の回復ではなく、長い歴史の途中で形を変えながらも続いてきた国家の自己確認でした。

その連続性は、現代のブルネイを理解するうえで欠かせません。
現在の濃いイスラム国家像は、外から突然つくられたものではなく、海洋帝国期の王権と信仰、保護領期の持続、そして1984年の独立が重なってできたものです。
ブルネイの歴史を追うと、拡大と縮小のどちらの局面でも、国家を支える軸がイスラムと王政の組み合わせにあったことが見えてきます。

国家と一体化した信仰:国是MIBとシャリア刑法

ブルネイでは、信仰は個人の内面にとどまらず、国家制度の骨格そのものに組み込まれています。
1959年の憲法でイスラム教が国教とされ、国是MIBが教育を通じて共有され、さらにシャリア刑法が段階導入から完全施行へ進んだことで、その姿は法と暮らしの両方に表れています。
外から見ると宗教色の強い国家に映りますが、現地ではそれが国民形成の仕組みとして落ち着いて受け止められているのが印象的です。

1959年憲法とイスラムの国教化

1959年の憲法はイスラム教を国教と定め、国家の「イスラム的・マレー的」性格を明文化しました。
ここで起きたのは、単に宗教を尊重するという話ではなく、信仰が法的な土台へ移されたことです。
現代ブルネイの制度的イスラムは、この段階を出発点として理解すると見通しがよくなります。
宗教が社会の周縁ではなく、統治の中心に置かれたのであり、その後の教育政策や司法制度にも連続していきます。

この構図は、イスラムが私人の信仰にとどまらず、国家の自己定義にまで関わることを意味します。
憲法文言に「イスラム的・マレー的」とある以上、宗教、文化、君主制が別々の要素ではなく、ひとまとまりの国家像として扱われているわけです。
ブルネイを見るときは、宗教の存在感そのものより、制度の中でどう固定化されたかに目を向ける必要があるでしょう。

教育に組み込まれた国是MIB

国是MIB(マレー・イスラム・君主制)は、単なるスローガンではありません。
1980年代に概念整備が進み、最高議会のもとで体系化され、学校や大学で必修科目として教えられるようになりました。
つまりMIBは、理念を掲げるだけでなく、子どもから学生までが段階的に身につける国民形成の仕組みとして設計されているのです。
筆者が現地の教育関係者に話を聞いた際も、MIBは幼少期から自然に学ばれ、日常の所作や公共意識の土台になると語られていました。

この点が重要なのは、国家理念が抽象語で終わっていないからです。
教室で繰り返し学ぶことで、マレー性、イスラム性、君主制への理解が個人の感覚に入り込みます。
外部の観察者には国家イデオロギーに見えても、現地ではむしろ生活の基準として内面化されている。
制度としての浸透度は、まさにそこにあります。

シャリア刑法の段階導入と完全施行

イスラム法に基づくシャリア刑法は、2014年5月1日から段階的に導入され、2019年4月3日に完全施行されました。
年号を正確に押さえると、ブルネイでは民事の領域だけでなく刑事の領域までイスラム法が及ぶ体制が整えられたことがわかります。
これは制度上の転換であり、宗教規範が統治の補助ではなく、法秩序の一部として運用される段階に入ったことを示しています。

ℹ️ Note

完全施行が国際的に注目された時期でも、現地では騒然とした空気よりも落ち着いた受け止め方が目立ちました。外から見た強い印象と、内側の制度感覚には差があります。

さらに見逃せないのは、シャリア刑法の一部の規定が非ムスリムや外国人にも適用される点です。
信仰が国民だけの私事ではなく、国内にいるすべての人の行動規範に関わる。
ブルネイのイスラムの特徴はそこにあります。
旅行マナーの章へつなげるなら、ここでの理解が出発点になります。
現地では宗教を「知っている」だけでは足りず、社会の前提としてどう振る舞うかが問われるからです。

暮らしの中のイスラム:礼拝・断食・ハラールと祝祭

ブルネイの暮らしでは、礼拝、断食、祝祭、食卓が切り離された出来事ではなく、ひとつの生活秩序としてつながっています。
金曜のジュムア、ラマダンの日中の過ごし方、断食明けのハリラヤ・アイディルフィトリは、信仰が個人の内面にとどまらず、街の時間割そのものを組み立てていることを示します。
さらにハラールが社会全体に行き渡ることで、何を食べるかという選択までが宗教実践の延長になるのです。

金曜礼拝とラマダンの断食

金曜は集団礼拝ジュムアの日として、モスクなどの宗教施設に人が集まります。
一日五回の礼拝と重ねて見ると、ブルネイでは信仰が週や一日の区切りをつくるだけでなく、生活の呼吸そのものになっていることがわかります。
朝から夜までの予定を立てるとき、礼拝の時刻を前提にする感覚が自然に根づいているのです。

ラマダンには、ムスリムは日の出から日没まで飲食・喫煙を断ちます。
国教であるブルネイでは、断食は個人の修行であると同時に、国を挙げて共有する年中行事でもあります。
筆者がラマダン期に東南アジアのムスリム地域を訪れた際も、日没とともに街の空気がふっと変わり、イフタールの高揚感が一斉に立ち上がるのを感じました。
空腹をしのぐ行為が、そのまま共同体の一体感に変わる瞬間です。

断食明けの大祭ハリラヤ・アイディルフィトリ

ラマダンが終わると、断食明けの大祭ハリラヤ・アイディルフィトリが国を挙げて祝われます。
家族や地域が集う最大の祝祭として位置づけられ、断食期間の緊張感が、歓待と再会の時間へと切り替わります。
断食が孤独な修行で終わらず、喜びを分かち合う行事へつながる点に、宗教と社会の結びつきの強さが表れています。

この祭りは、単なる休日ではありません。
互いに訪問し、食を囲み、日常の関係を整え直す節目になるからです。
信仰実践が一年の循環を形づくり、その終着点で共同体の輪郭が確かめられる、そんな感覚に近いでしょう。

ハラールが行き渡った食文化

食の面では、ハラールが社会全体に行き渡っています。
ハラールとはイスラム法で許された食を指し、ブルネイでは市場や食堂の選択肢そのものがこの基準で整えられているため、食事は特別な配慮ではなく日常の前提になります。
信仰が台所や外食の場にまで浸透していることは、暮らしの細部に宗教が組み込まれている証拠です。

取材の中で印象的だったのは、ハラール認証が当たり前に見える市場や食堂の風景でした。
何を選べばよいかを迷わせない環境があるからこそ、食べること自体が安心と共有の体験になります。
ラマダン期の公共の場で非ムスリムや外国人にも飲食・喫煙を控えるよう求められるのも、こうした共通ルールの延長にあります。
旅行者にとっては少し緊張する場面かもしれませんが、その感覚こそが、社会全体で信仰を支えている現実を映しています。

信仰を映す建築:王立モスクが語るブルネイのイスラム

名称 成立時期 建立主体 象徴するもの
オールドモスク(オマール・アリ・サイフディン・モスク) 1958年完成 第28代スルタン・オマール・アリ・サイフディン3世 首都バンダルスリブガワンの象徴、富と信仰の調和
ニューモスク(ジャメ・アスル・ハサナル・ボルキア・モスク) 1994年完成 現国王ハサナル・ボルキア 即位25周年の記念碑、王権と信仰の結びつき

ブルネイのモスク建築は、礼拝の場であると同時に、王権とイスラムが重なり合う国家のかたちを目に見える姿で示しています。
オールドモスク(オマール・アリ・サイフディン・モスク)とニューモスク(ジャメ・アスル・ハサナル・ボルキア・モスク)は、その代表例です。
どちらも国王や王室の主導で建てられており、信仰が個人の内面にとどまらず、国家の威信そのものとして建築に刻まれているのが分かります。

オールドモスク:首都の象徴となった黄金ドーム

オールドモスク、すなわちオマール・アリ・サイフディン・モスクは、1958年に完成し、第28代スルタン・オマール・アリ・サイフディン3世が建立した建築です。
首都バンダルスリブガワンを代表する景観として知られ、黄金のドームと水面に映る姿が、国の豊かさと信仰の深さを同時に体現しています。
イスラム建築を各地で見てきた立場からすると、このモスクの印象は規模の誇示ではなく、光と静けさを通じて信仰を示すところにあります。

実際に水面に映る黄金ドームを眺めると、建物そのものよりも、そこに生まれる静謐な気配のほうが強く記憶に残ります。
金色は富の象徴であると同時に、礼拝の場にふさわしい荘厳さを与え、川や池の反射は建築を現実の風景から少し浮かび上がらせます。
つまり、このモスクは飾り立てるための建物ではなく、信仰の精神性を視覚化する装置なのです。

ニューモスク:王の記念碑としてのモスク

ニューモスク、ジャメ・アスル・ハサナル・ボルキア・モスクは、現国王ハサナル・ボルキアの即位25周年を記念して1994年に完成しました。
こちらは現代ブルネイの王権を象徴する建築であり、男女別の礼拝空間を備えている点にも、礼拝秩序を重んじる設計思想が表れています。
記念事業として建てられたという事実は、モスクが単なる宗教施設ではなく、王の統治が信仰に支えられていることを示す記念碑でもあることを教えます。

この建築の意味は、単に新しいから目を引くということではありません。
むしろ、王の即位25周年という節目をモスクに結びつけることで、統治の正統性と宗教的敬虔さを同じ場所に重ねている点が要です。
礼拝空間の機能性を備えながら、国家の節目を祈りの場として保存する。
その発想自体が、ブルネイにおける王権とイスラムの距離の近さを物語っています。

モスクが体現する王権と信仰の一体性

両モスクを並べて見ると、ブルネイでは建築が権力の表象であると同時に、信仰の可視化でもあることがはっきりします。
国王や王室の主導でモスクが建てられると、礼拝の空間は私的な信心の場を超え、王権の正統性を支える公共の象徴になります。
産油国の富がモスクという形で信仰に還元されている点も、ブルネイらしさを際立たせる要素です。

豊かさを誇示するのではなく、富を祈りの建築へ注ぐ。
その価値観は、これまでの章で見てきた国家と信仰の一体化の延長線上にあります。
筆者が各地のモスクを見てきた経験でも、ブルネイの王立モスクは大きさ以上に「王権と信仰が一体である」というメッセージが強く、見る者に静かな説得力を残します。
まさに、建物そのものが国のイスラム性を語っているのです。

旅行・交流で知っておきたいブルネイのイスラム的マナー

ブルネイでは、イスラムの規範が日常の細かなふるまいにまで反映されるため、旅行者も服装や食事、過ごし方に少し気を配るだけで印象が大きく変わります。
露出を控えた装い、飲酒や喫煙の場面での慎重さ、そして礼拝やラマダンへの敬意は、単なる「ローカルルール」ではなく、信仰の場に入る前提として受け止めるのが自然です。
実際に事前に把握しておくほど、現地の人との距離は縮まりやすくなります。

服装・露出への配慮

ブルネイでは、信仰が生活ルールに直結しているため、服装は露出を控えめにするのが基本です。
特にモスクや公的な場では、肩や膝を隠すなど肌の見える面積を抑えることが求められます。
女性は、場面によって髪を覆う配慮が必要になることもあります。
観光地だから自由にしてよい、という発想ではなく、相手の価値観を尊重する姿勢が服装に表れる、と考えるとわかりやすいでしょう。
筆者がブルネイを含むイスラム圏で取材した際も、服装を少し整えただけで警戒されにくくなり、会話の入り口がぐっとやわらぎました。

飲酒・喫煙のルール

飲酒には明確なルールがあります。
非ムスリムは自宅やホテル客室での飲酒は可能ですが、レストランなど公共の場での飲酒や、ムスリムへの酒類の提供・販売は禁止されています。
ブルネイは酒類の販売店がなく、入国時の持ち込みにも制限があります。
つまり、旅先で「どこでも飲める国」ではないという理解が前提になります。
現地で不用意に飲酒の話題を出さない、食事の場で酒を勧めないといった配慮も、交流を円滑にするうえで役立ちます。
こうした事情を知っておくと、相手に余計な気遣いをさせずに済みます。

モスク見学とラマダン期の振る舞い

モスク見学はブルネイ観光のハイライトですが、礼拝時間、服装規定、立ち入り可能な区域を守ることが前提です。
信仰の場では、写真を撮る前に立ち止まり、周囲の動きを見てから行動するだけでも印象は変わります。
ラマダン期には、日中の公共の場での飲食や喫煙を控えるのがマナーで、非ムスリムや外国人にもその配慮が求められます。
筆者が取材で昼食を人前で取らずにいたところ、断食中の人から温かく迎えられ、短い会話でも距離が自然に縮まりました。
信仰を尊重してふるまえば、ブルネイのイスラムは「見学する対象」から「体感する文化」へと変わります。

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遠藤 理沙

中東・地中海地域の文明史を専門とし、イスラム圏10カ国以上のフィールドワーク経験を持つ。モスク建築や幾何学文様など、イスラム美術・文明の魅力を伝えます。

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