イスラム暦(ヒジュラ暦)とは|仕組みと月の名前
イスラム暦(ヒジュラ暦)とは|仕組みと月の名前
イスラム暦(ヒジュラ暦)は、月の満ち欠けだけで進む純粋な太陰暦で、1年が354日しかないため、西暦より約11日ずれていきます。だからこそ、毎年「今年のラマダーンはいつ始まるのか」が動き、季節と月名がぴたりと重ならない仕組みになっているのです。
イスラム暦(ヒジュラ暦)は、月の満ち欠けだけで進む純粋な太陰暦で、1年が354日しかないため、西暦より約11日ずれていきます。
だからこそ、毎年「今年のラマダーンはいつ始まるのか」が動き、季節と月名がぴたりと重ならない仕組みになっているのです。
元年は西暦622年の聖遷(ヒジュラ)に由来し、第2代カリフのウマルが年号を整えたとされるこの暦は、単なる日付の道具ではなく、共同体の出発点を刻む文化史そのものでもあります。
トルコやモロッコで街のカレンダーが西暦とイスラム暦の二段組みになっていた光景や、ラマダーン入りを告げる放送で生活の空気が変わった体験は、イスラム暦が今も生きていることをよく示していました。
イスラム暦(ヒジュラ暦)とは何か
イスラム暦(ヒジュラ暦)は、月の満ち欠けだけに基づく純粋な太陰暦で、1年は354日です。
太陽の動きで季節をそろえる西暦より約11日短いため、月名と季節は一致せず、行事の時期は西暦上で毎年少しずつ前にずれていきます。
日本の旧暦のようにうるう月で調整する仕組みを持たないので、「毎年ずれる暦」になるわけです。
実際にイスラム圏を訪れると、同じラマダーンでも真夏の強い日差しの下で迎える年もあれば、日が短い冬に重なる年もあり、この暦の性格が身体感覚として見えてきます。
純粋な太陰暦という性質
イスラム暦の基本は、月の満ち欠けです。
新月から次の新月までのおよそ29.5日という周期を積み重ねて月を数えるため、太陽の位置や四季の推移は暦の基準に入りません。
ここが、季節を保つことを前提にした太陰太陽暦や太陽暦と根本的に異なる点であり、断食月ラマダーンや巡礼月ズー・アルヒッジャの到来時期が年ごとに動く理由でもあります。
現地で配られるカレンダーが西暦とイスラム暦の二段組みになっているのを初めて見ると、月名が春夏秋冬の流れと結びついていないことに少し戸惑うかもしれません。
日本の旧暦では、うるう月を入れて季節とのずれを埋めます。
これに対してイスラム暦は、暦の純粋さを優先してうるう月を一切置きません。
月の巡りだけで年を立てるという発想は明快ですが、その代わりに四季から切り離される。
だからこそ、同じ祭礼や断食でも「暑さの中で耐える年」と「日照の短さの中で過ごす年」が生まれるのです。
西暦より1年が約11日短い理由
1年が354日になるのは、1か月をおよそ29日か30日で数え、12か月を積み上げるからです。
計算暦では30年周期のうち11年が355日のうるう年、19年が354日の平年となり、最終月ズー・アルヒッジャが1日延びます。
それでも平均すると西暦の365日より約11日短いので、イスラム暦の行事は西暦上で毎年約11日ずつ早まります。
約33年で季節が一巡するのは、この差が少しずつ蓄積していくためです。
このずれは、生活の組み立て方にも影響します。
断食の苦労が夏と冬でまったく変わるのはもちろん、旅行者が見かける街の装飾や商店の営業時間、食卓の雰囲気まで違って見えるでしょう。
月は同じでも、そこに重なる季節は毎年変わる。
だからこそ、イスラム暦は「いつ来るか」よりも「どう巡ってくるか」を意識して読む必要があるのです。
ラマダーンが夏に来る年もあれば冬に来る年もある、という実感はここから生まれます。
ヒジュラ暦・イスラーム暦などの呼び名
この暦は、ヒジュラ暦、ヒジュラ太陰暦、イスラーム暦など複数の呼び名で知られています。
いずれも同じ暦を指し、ヒジュラはアラビア語の「聖遷」、つまりムハンマドがメッカからメディナへ移住した出来事を意味します。
日本語では「イスラム暦」と総称されることも多いですが、宗教的・歴史的な背景まで含めて見るなら、「聖遷を起点にする暦」という理解が最も腑に落ちるはずです。
元年は西暦622年、ヒジュラ暦元年ムハッラム1日は西暦622年7月16日に相当します。
暦そのものは当時に即座に整ったのではなく、約17年後の西暦639年頃、第2代カリフ・ウマルが年号の混乱を解消するために制定したとされます。
預言者の誕生や啓示の開始ではなく聖遷を起点に選んだのは、個人の生誕よりも共同体の出発を重く見たからだと解釈されます。
12か月はムハッラム、サファル、ラビー・アルアウワル、ラビー・アッサーニー、ジュマーダ・アルウーラー、ジュマーダ・アルアーヒラ、ラジャブ、シャーバーン、ラマダーン、シャウワール、ズー・アルカーダ、ズー・アルヒッジャの順で、ラマダーンは断食月、ズー・アルヒッジャは巡礼の月です。
ムハッラム、ラジャブ、ズー・アルカーダ、ズー・アルヒッジャの4つは神聖月とされ、伝統的に戦闘が禁じられてきました。
月の始まりは日没後の三日月(ヒラール)の目視で判定するため、国や地域で1〜2日前後することがあり、サウジアラビアは天文計算に基づくウンム・アルクラー暦(メッカ暦)を行政上の公式暦としています。
実務では西暦、宗教行事ではイスラム暦という併用が多く、2026年はヒジュラ暦1447〜1448年にあたり、新年は2026年6月16日頃、2026年のラマダーンは日本では2026年2月19日頃に始まると決定されています。
西暦622年の聖遷を起源とする由来
イスラム暦、すなわちヒジュラ暦の元年は、西暦622年の聖遷(ヒジュラ)に置かれています。
ムハンマドが信者を率いてメッカからメディナへ移住し、迫害を避けながら共同体の拠点を築いた出来事が、イスラム共同体の事実上の出発点とみなされたためです。
筆者が各地の年代記を読み解いてきたときも、この暦は西暦との対応を一つひとつ確かめてこそ意味が立ち上がる、と何度も感じました。
聖遷(ヒジュラ)とは何だったのか
聖遷(ヒジュラ)は、単なる移動ではありません。
メッカで迫害を受けていたムハンマドと信徒たちが、活動の場をメディナへ移したことで、信仰共同体が現実の社会単位として形を取り始めた転機でした。
だからこそ、暦の起点がこの出来事に置かれたのです。
ヒジュラ暦元年ムハッラム1日は、西暦622年7月16日(金曜)に相当します。
聖遷そのものは年の途中の出来事ですが、起算は便宜上、その年の年頭であるムハッラム1日に置かれました。
日付の対応を押さえることは、イスラム圏の史料を読むうえで土台になります。
カリフ・ウマルが暦を定めた経緯
暦が制定されたのは聖遷の当時ではなく、約17年後の西暦639年頃とされています。
第2代カリフ・ウマルが、書簡や行政記録で年号の混乱が生じるのを避けるため、共通の起点を定めたという流れです。
各地の年代記を読んでいると、ヒジュラ暦の年号は実務上の秩序を支える装置だったことがよくわかります。
実際にメディナを念頭に置いた史跡や記念碑に触れると、聖遷は移動の記憶であると同時に、文明の始まりとして刻まれているのだと感じられます。
年号の統一は、過去を並べるためだけではなく、共同体がどこから始まったのかを共有する作業でもありました。
そこにウマルの判断の重みがあります。
なぜ預言者の誕生や啓示開始ではなく聖遷を起点にしたのか
預言者の誕生や最初の啓示ではなく聖遷が選ばれたのは、個人の生涯よりも共同体(ウンマ)の形成を重視したからだと解釈されます。
誕生や啓示開始はもちろん決定的な出来事ですが、聖遷は信仰が社会として根を下ろした瞬間でした。
ここに、イスラム暦の思想的な骨格があります。
共同体の出発を刻むという発想は、イスラム暦を単なる時間計算ではなく、歴史の記憶装置としても機能させています。
多くのイスラム圏では、宗教行事はヒジュラ暦、日常の実務は西暦という併用が一般的です。
暦を二重に意識することで、信仰の時間と社会の時間を行き来する感覚が保たれているのでしょう。
12の月の名前と神聖月
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 12か月の名称 | ムハッラム、サファル、ラビー・アルアウワル、ラビー・アッサーニー、ジュマーダ・アルウーラー、ジュマーダ・アルアーヒラ、ラジャブ、シャーバーン、ラマダーン、シャウワール、ズー・アルカーダ、ズー・アルヒッジャ |
| ラマダーン | 第9月。 日の出から日没まで飲食を断つ断食(サウム)が行われる月 |
| 神聖月 | 第1月ムハッラム、第7月ラジャブ、第11月ズー・アルカーダ、第12月ズー・アルヒッジャ |
イスラムの太陰暦は、12か月の流れそのものに礼拝、断食、巡礼、禁戦の記憶を刻み込んだ暦です。
月名を順にたどるだけで、共同体の生活と歴史の節目が見えてきます。
とくにラマダーンは断食の月として、ズー・アルヒッジャはハッジと犠牲祭の月として、名前と行事が強く結びついています。
ムハッラムからズー・アルヒッジャまでの12か月
12か月は、ムハッラム、サファル、ラビー・アルアウワル、ラビー・アッサーニー、ジュマーダ・アルウーラー、ジュマーダ・アルアーヒラ、ラジャブ、シャーバーン、ラマダーン、シャウワール、ズー・アルカーダ、ズー・アルヒッジャの順に並びます。
第1月から第12月までをこの順番で押さえると、断片的に覚えるよりもずっと整理しやすくなります。
細密画や碑文を調べていると、月名がそのまま歴史的事件の呼称に入り込み、「○○月の戦い」のように語られている場面に何度も出会いました。
暦が単なる数字の列ではなく、出来事の記憶装置になっているのです。
ラマダーンと巡礼月ズー・アルヒッジャ
第9月のラマダーンは、ムスリムが日の出から日没まで飲食を断つ断食(サウム)を行う、最も神聖視される月です。
月名を聞けば行事がすぐ浮かぶので、学び始めた人にとっても記憶の取っかかりになります。
現地でラマダーン明けの祭りイードに居合わせたとき、街の動きが一気にほどけていくのを見て、月の名前が生活のリズムそのものを刻んでいるのだと実感しました。
ラマダーンは、暦と信仰と日常が一つに重なる月だと言えるでしょう。
最終月の第12月ズー・アルヒッジャは、メッカ巡礼(ハッジ)が行われる月で、犠牲祭(イード・アル=アドハー)もこの月に営まれます。
断食のラマダーンと巡礼のズー・アルヒッジャが暦の両端に置かれていることは、イスラムの時間感覚が「食を断つ季節」と「旅して集う季節」の両方で支えられていることを示しています。
月名は行事を思い出すための記号ではなく、共同体の実践を支える道しるべです。
4つの神聖月とその意味
神聖月は、ムハッラム、ラジャブ、ズー・アルカーダ、ズー・アルヒッジャの4つです。
これらの月には伝統的に戦闘が禁じられ、巡礼や移動、交易が比較的安全に行えるよう配慮されました。
第1月・第7月・第11月・第12月という配置を見ても、年の前半から後半まで要所を押さえる形になっており、暦が平和の秩序を支えていたことがわかります。
この神聖月の存在は、ウマルが暦を純粋太陰暦のまま保った理由の一つとも結びつきます。
季節に合わせて月をずらすより、月名と禁忌の関係を一定に保つほうが、宗教実践の共有は明快になるからです。
イスラム圏の碑文に目を向けると、こうした月の秩序が行事名や戦いの記録にまで浸透していることが見えてきます。
暦を知ることは、歴史の読み方を一つ増やすことでもあります。
1か月の日数と354日・355日のしくみ
1か月の長さは一律ではなく、30日と29日が交互に並ぶことで、通常の1年は354日になります。
月の満ち欠けは約29.5日で巡るため、その周期を暦に写し取ると、30日だけでそろえることも、29日だけでそろえることもできません。
だからこそ、日数の違いを組み合わせて月の流れを保っているのです。
実務で史料の日付を西暦に換算すると、この1日差が積み重なる重みをはっきり感じます。
現地の暦の専門家に取材したときも、計算暦を採るか観測暦を採るかで月末の扱いが変わる、と教わりました。
単純な日数の話に見えて、実際には歴史記述の精度を左右する仕組みなのです。
30日と29日の月が交互になる理由
30日と29日の月が交互に並ぶのは、月の満ち欠けの実周期を暦の上で無理なく受け止めるためです。
1か月を30日で固定すると実際の月の運行より少し長くなり、29日で固定すると少し短くなります。
そのずれをならすために、30日の月と29日の月を交互に置き、通常の1年を354日にしています。
見た目は単純ですが、ここには天体の動きと日常の記録を一致させようとする工夫が詰まっています。
この構造は、月を数える暦にとってとても実用的です。
たとえば礼拝や断食の時期を月で把握する文化では、暦の数字が現実の空の変化とかみ合っていなければ困ります。
30日か29日かという違いは小さく見えても、月の区切りを人が共有するための土台になるわけです。
月齢の見え方を日々の生活に結びつける点が、こうした暦の核心だと言えるでしょう。
30年で11回置かれるうるう年
暦法上は30年を1周期とし、そのうち11年をうるう年、19年を平年にします。
うるう年は355日、平年は354日ですから、30年単位で平均を取ると、実際の月の運行と長期的にずれにくくなります。
短い尺度では見えにくい差でも、年代記や系譜のように長く日付を扱う場面では、この調整が効いてきます。
うるう年で増える1日は、最終月ズー・アルヒッジャが29日から30日に延びることで加わります。
西暦のうるう日が2月末に入る仕組みと比べると、どこで1日を差し込むのかが直感しやすいでしょう。
月の途中ではなく年の終わり側で調整するため、月名の並びを大きく崩さずに周期の帳尻を合わせられるのです。
月の始まりを決める新月
観測を重んじる立場では、各月の初日は計算ではなく新月、つまり三日月が見え始める日を起点とします。
ここでは数字よりも空の実際の様子が優先され、月の始まりは机上の規則ではなく視認できる変化によって確定します。
観測暦と計算暦の違いは、この月初の決め方に最もはっきり現れるのです。
だからこそ、月末の日数が29日になるか30日になるかは、単なる例外ではありません。
史料を読む側にとっては、どちらの暦を前提にしているかを見抜く手がかりになります。
月の初日を新月から取るという発想を押さえておくと、次に扱う観測と計算の違いも、ずっと立体的に理解しやすくなるでしょう。
なぜラマダーンの時期は毎年ずれるのか
イスラム暦は太陽暦ではなく太陰暦で、1年が西暦より約11日短い。
そのためラマダーンや新年は、西暦の上では毎年少しずつ前へ移動していきます。
春に来た年の次は冬へ、夏を挟んで再び春へと巡るため、同じ月でも体感温度がまったく違うのです。
毎年約11日早まるしくみ
ずれの仕組みは単純です。
イスラム暦の1年は29日か30日の月を積み重ねて進みますが、西暦の1年より短いため、差が年ごとに積み上がります。
ラマダーンはこの差のぶんだけ毎年約11日早まり、ある年は初夏、別の年は真冬に来ることになります。
日本国内のムスリムの知人から「子どもの頃と大人になってからでは、ラマダーンの季節が別物だった」と聞いたことがありますが、まさに生活の実感として理解しやすいところです。
筆者自身も、数年おきにイスラム圏を訪れるたび、前回とは季節の違うラマダーンに何度も出会いました。
断食の厳しさは日照時間や気温にも左右されるため、同じラマダーンでも暮らしの表情が変わります。
だからこそ、この「約11日」のずれは単なる暦の数字ではなく、日々の過ごし方そのものを動かす要素だとわかります。
約33年で季節が一巡する
毎年のずれが積み重なると、約33年で太陽暦と1年分の差が生じます。
つまり、ラマダーンは一通りの季節を回り、夏にも冬にも来るようになります。
ムスリムのあいだで「一生のうちに各季節のラマダーンを経験する」と言われるのは、この周期を端的に表した言い方です。
この循環は、宗教行事が自然の季節に縛られないことを示しています。
断食は暑さの強い時期には体感的に重く、夜が長い季節には生活の組み立て方も変わりますが、その負担や実感が一定ではないからこそ、信仰の実践が毎年少しずつ違う顔を見せるのです。
季節の移り変わりとともに、ラマダーンの記憶も更新されていきます。
2026年のイスラム暦と主な行事
2026年はヒジュラ暦1447年から1448年にあたり、新年、つまりムハッラム1日が2026年6月16日頃と見込まれています。
観測により1日前後しうるため、日付にわずかな幅があるのもイスラム暦らしい特徴です。
同じ年のラマダーンは日本では2026年2月19日頃に始まると決定されており、年の前半に断食月が来ることになります。
この並びを見ると、季節が固定されない暦の動きが現代の具体的な日付にそのまま表れているとわかります。
新年は初夏、ラマダーンは冬寄りの時期に入るため、ひとつの西暦年の中で両方を追うだけでも、イスラム暦の独特な流れが見えてきます。
暦のずれを知ることは、行事の日取りを覚える以上に、信仰と生活がどう結びついているかを理解する近道になるでしょう。
観測と計算 — 暦を決める二つの方法
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | 観測と計算 — 暦を決める二つの方法 |
| 主題 | ヒラールの目視観測とウンム・アルクラー暦の併存 |
| 要点 | 宗教実践では観測、行政運用では計算が重視される場面があり、国や地域で日付差が生じる |
ヒラールを目で確かめる方法と、天文計算で日付を定める方法は、いまもイスラム圏の暦を支える二つの柱です。
どちらが「正しいか」だけで割り切れる話ではなく、礼拝や断食の実践と、国家の行政運用とでは求められる確実性が違うため、併存が続いています。
三日月(ヒラール)の目視観測
伝統的な月の始まりは、日没後に三日月(ヒラール)が肉眼で見えるかどうかで決まります。
月が確認できれば翌日が新しい月の1日となり、見えなければその月はもう1日続く仕組みです。
現地でモスクや当局の発表を待つ人々の緊張感は強く、発表の瞬間に翌日の予定が一斉に動き出すのを目にすると、この仕組みが単なる暦法ではなく、共同体の時間をそろえる装置だとわかります。
観測に基づく以上、天候が崩れれば月は見えず、また地域の経度差があれば日没の時刻もずれます。
そのため、国や地域によって月初が1〜2日前後することがあります。
国境近くでは、隣国とラマダーン入りが1日ずれたために、同じ地域でも家庭ごとに断食開始日が分かれていたことがありました。
暦の違いは紙の上の数字ではなく、食事や休み、祈りの開始時刻にまで及ぶのです。
計算で定めるウンム・アルクラー暦
サウジアラビアでは、天文計算に基づくウンム・アルクラー暦(メッカ暦)が行政上の公式暦として使われています。
あらかじめ日付を確定できるため、官公庁の予定、学校行事、休暇の管理を組み立てやすいのが利点です。
観測結果を待ってからでは調整が難しい場面に、計算暦は実務上の安心を与えます。
この点で、行政用の暦と宗教実践用の暦は、同じイスラムの時間感覚の中にありながら役割が異なります。
日常行政では予測可能性が求められ、断食や祝祭の宗教的感覚では、実際の月を重んじる立場がなお根強いからです。
計算が便利だから観測が不要になる、という単純な話ではありません。
国によって日付がずれる理由
日付差が生まれる背景には、観測を重視する地域と計算を重視する地域が並存している事情があります。
観測派は、月が実際に現れたかどうかを出発点にするため、空模様や地理条件の影響を受けます。
計算派は、天文計算で先に暦を組み立てるため、予定を立てやすい反面、宗教的な納得感をどう扱うかが問われるでしょう。
現場では、この二つの考え方がきれいに分かれるとは限りません。
ある国では行政が計算暦で運用しつつ、宗教実践の場では観測の知らせが重みを持つことがあり、別の国では共同体ごとに判断が異なることもあります。
だからこそ、ラマダーン入りや祝祭日の日付が国によって食い違う現象は、混乱というより、イスラム世界における暦の決め方が一つに固定されていないことの表れだと受け取るのが自然です。
西暦との換算と日常での使われ方
ヒジュラ暦の年は、西暦から大まかに当てるなら「(西暦−622)×33÷32」で見積もれます。
太陰暦は太陽暦より1年が短く進むため、そのずれをざっくり補正した式です。
研究で古い碑文や写本の年号を読むときも、まずこの概算法で時代の当たりをつけ、そこから換算表で詰めるのが実務になります。
西暦からおおよその年を求める
ヒジュラ暦は、出発点を622年のヒジュラに置きつつ、月の満ち欠けで年を数える暦です。
そのため、西暦との対応を考えるときは単純な引き算だけでは足りず、年の進み方の差を補う必要があります。
そこで使いやすいのが、ヒジュラ暦年 ≒ (西暦−622)×33÷32 という近似式です。
たとえば大きな年代を見渡したい場面では、この式で概算しておくと、資料の位置づけが素早く見えてきます。
この式が実用的なのは、細部を切り捨てているからこそです。
まず範囲を絞り、次に月日を確認する。
古い碑文や写本を扱う現場では、そんな順番がいちばん効率的です。
筆者も研究の場で、先にこの式で候補年代を出し、あとから換算表で精密化する手順を何度も踏んできました。
おすすめです。
厳密な換算に観測差が残る理由
ただし、年だけでなく月日まで正確に換算しようとすると、話はかなり繊細になります。
1年で約11日、約33年で約1年の差が生じるため、同じ「年号」でも西暦上のどこに当たるかはずれていきます。
とくに宗教行事や歴史資料では、月の目視確認を前提にした運用が入り、暦の切り替わりが理論上の計算とずれることがあります。
だからこそ、年数の概算と、日付の厳密換算は別物として扱うべきなのです。
このズレを知っておくと、史料読解の誤差を小さくできます。
たとえば同じ年号でも、前後どちらの年に属するかで出来事の並びが変わることがあるため、安易な断定は避けたいところです。
専用の換算表やツールを使って日付を詰めるのは、そのためです。
ラマダーンやハッジのように、月日が意味を持つ領域では特にそうでしょう。
現代社会での併用のされ方
多くのイスラム圏では、行政や経済の実務は西暦、宗教行事の日取りはイスラム暦という併用が一般的です。
役所の書類や銀行の表示で二本立ての日付を見かけることも珍しくなく、実際に現地でそれを目にすると、二つの暦が摩擦なく共存しているのがよくわかります。
社会の中で暦は一つに統一されるとは限らず、用途ごとに使い分けられているのです。
この併用は、イスラム暦が過去の遺物ではないことも示しています。
ラマダーンやハッジをはじめ、世界十数億人の生活リズムを今も規定する生きた暦として機能しているからです。
文明史の視点で見れば、イスラム暦は歴史資料の中だけに閉じた制度ではありません。
日常と信仰の両方に根を下ろし、今も現代社会の時間感覚を支えています。
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中東・地中海地域の文明史を専門とし、イスラム圏10カ国以上のフィールドワーク経験を持つ。モスク建築や幾何学文様など、イスラム美術・文明の魅力を伝えます。
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