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イスラム庭園とは|楽園を模した四分庭園

更新: 遠藤 理沙
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イスラム庭園とは|楽園を模した四分庭園

イスラム庭園とは、7世紀以降のイスラム勢力圏で発展した、コーランに描かれた天上の楽園ジャンナを地上に映そうとした庭園様式である。乾燥した土地に生きる人々にとって、緑陰や果実、絶えず流れる水はそれ自体が楽園の兆しであり、庭は信仰と世界観を目に見える形にした空間でした。

イスラム庭園とは、7世紀以降のイスラム勢力圏で発展した、コーランに描かれた天上の楽園ジャンナを地上に映そうとした庭園様式である。
乾燥した土地に生きる人々にとって、緑陰や果実、絶えず流れる水はそれ自体が楽園の兆しであり、庭は信仰と世界観を目に見える形にした空間でした。

その核にあるのが、中心の噴水や池から水路を十字に伸ばして庭を四分割するチャハルバーグです。
四つに分かれた秩序は、コーランが語る四つの川にも重ねられ、直線と左右対称が生む幾何学の美が、そのまま信仰の表現になっています。

起源をたどると、紀元前6世紀のペルシャ、パサルガダエ庭園にまでさかのぼり、イスラム勢力の拡大とともにアルハンブラ宮殿やタージマハルへ伝わりました。
アンダルシアやイランの庭で水路のせせらぎと糸杉の影に身を置くと、乾いた外気との落差が鮮明で、なぜこの形が楽園と呼ばれたのかが腑に落ちます。

著者は中東・地中海地域の文明史を専門とし、トルコやモロッコ、ウズベキスタンを含むイスラム圏各地を歩いてきました。
その経験を踏まえると、イスラム庭園は単なる装飾ではなく、影響と交流の歴史を背負いながら、今も「楽園」を身体感覚で伝える場所だといえます。

イスラム庭園とは何か:地上に再現された楽園

イスラム庭園とは、7世紀以降のイスラム勢力圏に広がった庭園様式の総称であり、装飾や憩いの場にとどまらず、コーランに描かれた天上の楽園を地上に写そうとした空間です。
そこでは庭そのものが信仰の世界観を形にし、見る人に「なぜこの形なのか」という問いを自然に投げかけます。
高い壁や柱廊に囲まれた閉じた構成も、その思想を支える重要な装置でした。

庭園は『天上の楽園』の地上の写し

イスラム庭園の核にあるのは、庭を単なる景観ではなく、信者が死後に招かれる天上の楽園、ジャンナの雛型として見る発想です。
コーランに刻まれた楽園は、涼しさ、水、木陰、果実に満ちた場所として描かれますが、乾いた土地に暮らす人々にとって、それは現実にはほとんど触れられない理想でした。
だからこそ地上の庭は、来世の前味を先取りする場として特別な意味を持ち、見るだけでなく、歩き、聞き、香りを感じることで信仰のイメージを身体に刻む空間になったのです。

モロッコのリヤドを歩くと、その感覚がよくわかります。
喧騒の路地から扉一枚を抜けた瞬間、水音と緑に包まれ、外の世界がすっと遠のく。
真夏の乾いた中東の街でも、庭に一歩入っただけで体感温度が下がるのを肌で感じます。
こうした落差こそ、イスラム庭園が楽園の写しとして機能してきた理由でしょう。

壁で囲い外界と隔てる『閉じた庭』の思想

イスラム庭園は、高い壁や柱廊で外界から切り離された「閉じた庭」として設計されます。
これは単なる防風や日除けではなく、外の乾いた世界と内側の涼しい世界を明確に分け、入った人だけが別世界に足を踏み入れる構造です。
外部の砂埃や騒音が薄れ、視線も音も制御されることで、庭は都市の中に置かれた静かな聖域のように働きます。

この閉鎖性は、空間の美しさを高めるためだけの工夫ではありません。
壁で囲うことで庭は「守られた場所」になり、そこに流れる水や植栽がいっそう際立ちます。
柱廊が影をつくり、日差しの強い土地でも人がとどまれる。
閉じているからこそ、内側の秩序と安らぎが鮮明になるのです。
イスラム建築の幾何学が好まれる背景にも、こうした境界の明確さが通っています。

なぜ砂漠の民にとって緑陰と水が楽園だったのか

発祥地の多くは乾燥・半乾燥地帯で、緑陰、果実、そして絶えず流れる水は、それ自体が希少でした。
だから庭にある水は、ただ潤いを与えるだけではなく、神の恵みや慈悲を見える形にしたものとして受け取られます。
糸杉が永遠や不変を、実をつける果樹が豊穣や生命を象徴したのも、この土地の感覚と結びついていました。
バラ、ザクロ、ナツメヤシのような植栽が選ばれたのも、香りや実りが五感に直接訴えるからです。

水の扱いにも、この土地ならではの知恵があります。
降水量の少ない地域では、庭の水路は矩形や直線で引かれ、無駄なく行き渡らせる実用性が重視されました。
中心の噴水や池から四方へ水路が伸びるチャハルバーグは、その代表例です。
ペルシャ語で「四つの庭」を意味するこの形式は、コーランが描く四つの川の楽園とも重ねて理解されてきました。
イスラム庭園を見るとき、そこにあるのは飾りではなく、乾いた世界に生きる人々が水と緑に託した秩序の美なのです。

チャハルバーグ:四つに分けられた庭の構造

チャハルバーグは、ペルシャ語で「四つの庭」を意味する語で、イスラム庭園を代表する幾何学様式です。
中心に噴水や池を据え、そこから四方へ水路を伸ばして庭を四つの象限に分ける構成は、眺めた瞬間に秩序が伝わるよう設計されています。
乾燥した地域で育ったこの形式は、景観の美しさだけでなく、水を行き渡らせる実用性もあわせ持っていました。

中心から四方へ:水路が描く十字の軸

チャハルバーグの骨格は、ひとつの中心点から始まります。
噴水や池を据え、その四方へ東西南北にまっすぐ水路をのばすと、庭は十字の軸で区切られ、自然に四つの区画が生まれます。
イスファハーンの庭で中央の水盤に立ったとき、四方に等しく伸びる水路を見渡して、人の手が世界を秩序づけようとする意志を強く感じました。
上空から見る図版と地上の視点を往復すると、この四分割の幾何学は、歩いているだけでは全体像としてつかみにくいことにも気づきます。

この構造が象徴するのは、単なる装飾ではありません。
『コーラン』が語る楽園のイメージ、とりわけ四つの川の図像と響き合いながら、地上に天上の秩序を写し取ろうとする発想が働いています。
水路は庭の中を流れるだけでなく、中心から外へ広がる力そのものです。
視線は自然と中央へ戻り、そこを起点に空間全体を読み解くことになります。

なぜ直線と左右対称なのか

チャハルバーグの水路が曲線ではなく、矩形や直線で引かれるのは、乾燥地帯で発達した庭だからです。
降水量の少ない土地では、水は景観のためにあるだけでなく、限られた資源として慎重に配分されなければなりません。
直線の水路は流れを分散させず、庭の隅々まで無駄なく届けるための合理的な仕組みでした。
つまり、幾何学の美しさは、そのまま灌漑の知恵でもあるのです。

左右対称であることにも意味があります。
片側だけが豊かになりすぎるのではなく、四方へ均等に配ることで、庭は均衡を保ちます。
この整った構図は、自然のままを写すというより、自然を整え、制御し、理想の姿へ近づける態度だと言えるでしょう。
曲線や非対称を生かす日本庭園との違いも、ここでくっきり見えてきます。
両者はどちらも庭ですが、理想郷の描き方はかなり異なります。

壁・柱廊・パティオに囲まれた中庭形式

チャハルバーグは、ただ水路を引いただけの空間ではありません。
壁や柱廊、パティオ(中庭)で囲まれた「閉じた庭」として成立し、住居や宮殿と一体になっていました。
外界から切り離された内部に、中央の水、花壇、生け垣が置かれることで、庭は単なる屋外ではなく、暮らしそのものを包み込む装置になります。
バラや果樹の香り、木陰、流れる水が重なり、五感で味わう楽園のイメージが立ち上がるのです。

この囲い込みは、防御や境界のためだけではありません。
内部に秩序だった小宇宙をつくることで、そこにいる人は世界の中心に立っている感覚を得ます。
外の喧騒を遮り、静けさと水音を際立たせるからこそ、中央の噴水は象徴としても機能するわけです。
こうした閉じた中庭の構成を見ていくと、後の章で触れる日本庭園の開放的な自然観が、いっそう対照的に見えてくるでしょう。

コーランが描く楽園と庭の象徴:水・糸杉・果樹

項目 内容
名称 コーランが描く楽園と庭の象徴:水・糸杉・果樹
核となる典拠 『コーラン』第55章ア=ラフマーン(慈悲あまねく御方章)
中心意匠 水、四つの川、糸杉、バラ、ザクロ、デーツ(ナツメヤシ)
主題 庭の各要素を楽園の描写に対応づける象徴解釈

『コーラン』第55章ア=ラフマーン(慈悲あまねく御方章)には、複数の楽園、泉、果実が重ねて描かれます。
そのため庭園意匠を考える際、この章は単なる宗教的背景ではなく、空間の構成そのものを読み解く鍵になります。
水が流れ、木が立ち、香り高い植物が配される庭は、来訪者に楽園の秩序を体感させる装置でもあるのです。

四つの川と『下を川が流れる楽園』

コーラン第55章ア=ラフマーン(慈悲あまねく御方章)では、楽園に水・乳・酒・蜜の四つの川が流れるとされ、このイメージがチャハルバーグの四分割と重ね合わされます。
四つの流れが中心軸から均衡よく広がる構図は、恣意的な装飾ではなく、秩序ある祝福の可視化だと理解するとわかりやすいでしょう。
庭の四象限をつくり、その間を水路で結ぶ設計は、まさに「下を川が流れる楽園」を地上に写し取る試みだと言えます。
庭を歩いていると、ナツメヤシやザクロの木の下に自然と目がとまります。
コーランに登場する果実が、実際の植栽として選ばれている場面に出会うと、聖典の描写が抽象的な比喩ではなく、庭の素材選びにまで降りてきていることが実感できます。
こうした体験は、楽園が「眺める対象」ではなく「歩いて確かめる空間」として構想されてきたことを教えてくれます。

水=神の恵みと慈悲の象徴

水は神の恵みと慈悲の象徴であり、絶えず流れる水路や噴水は、乾いた世界に与えられる祝福を目に見える形にしたものです。
砂漠や乾燥地の文化圏では、静止した水よりも、流れ続ける水のほうが生命の更新をはっきり感じさせます。
だからこそ、庭の中心に水を置く設計は、単に涼しさをつくるためではなく、尽きない恩寵の感覚を空間全体に行き渡らせる働きを持つのです。
夕刻になると、バラとジャスミンの香りが庭に立ちこめることがあります。
そのとき印象的なのは、楽園体験が視覚だけで完結していない点でした。
きらめく水面と緑の陰影に、香りが重なる。
そこでは見ることと吸い込むことが同じ方向を向き、庭全体が五感で受け取る祝福として立ち上がります。
おすすめです、こうした庭は見て回るだけでなく、少し長く滞在してみてください。

糸杉・バラ・ザクロ・デーツが語るもの

糸杉は天へ伸びる姿から永遠や不変、男性原理を象徴し、実をつける果樹は豊穣や生命、女性原理を象徴するとされる伝承があります。
ここでは断定を避けるべきですが、少なくとも両者の対比が庭の構成に深みを与えてきたのは確かです。
上へ伸びるものと、実りを抱えるもの。
その組み合わせが、楽園を静的な美ではなく、力と生命の循環として見せるのです。
さらに、バラ・ザクロ・デーツ(ナツメヤシ)は、香りと果実味の両面から楽園のイメージを補強します。
バラは芳香で気配を満たし、ザクロは果皮の赤さと粒立つ実で豊饒を示し、デーツは乾いた土地でこそ価値を増す実りとして、恩寵の具体性を伝えます。
こうして見ると、庭は単なる鑑賞対象ではなく、香り・味・色・形を通じて楽園を身体に記憶させる設計だとわかるでしょう。
ぜひ、植物の配置まで意識して眺めてみてください。

ペルシャ庭園:チャハルバーグの源流

ペルシャ庭園の起点は、イスラム以前のペルシャにさかのぼります。
紀元前6世紀アケメネス朝期に造営されたパサルガダエ庭園は、最古の四分庭園の例として位置づけられ、のちのチャハルバーグの原型を示します。
イスラムによるペルシャ征服を経ても断絶は起きず、既存の庭園文化が楽園観と結びついて、秩序立った庭の思想として受け継がれていきました。

パサルガダエに始まる四分庭園

パサルガダエ庭園は紀元前6世紀アケメネス朝期に造営され、四分庭園の最古層を考えるうえで外せない存在です。
中央の軸線、区画の対称性、水の流れを組み合わせる発想は、単なる装飾ではなく、支配者の権威と宇宙秩序を重ねる構図でした。
後世のチャハルバーグが洗練されたのも、こうした古い設計思想が土台にあったからだと理解すると見通しがよくなります。

パサルガダエの遺構に立つと、二千数百年前の水路跡が、のちのタージマハルやアルハンブラにもつながる発想の出発点だったのだと実感します。
庭を四つに割るという単純な幾何学は、実際には「水をどう配るか」「空間をどう統御するか」という実務と信仰の交点にありました。
そこに、ペルシャ庭園が単なる景観ではなく文明の設計図だった理由が見えてきます。

カナートが砂漠に水を引く

乾燥地で庭を維持できた背景には、カナートと呼ばれる地下水路の灌漑技術があります。
地表の熱と蒸発を避けながら水を遠くへ運ぶこの仕組みは、砂漠に緑を定着させるための土木技術でした。
ヤズド周辺で世界最大規模とされるカナート網を知ったとき、地下を流れる水が地上の楽園を支えていた構図に、文明の知恵を見た気がしました。

カナートは便利な水路というだけではありません。
水を引く技術が庭の成立条件をつくり、その庭が楽園のイメージを現実の風景へと変えたからです。
つまり、土木と信仰は別々の要素ではなく、ひとつの庭園文化の中で結びついていました。
乾いた土地に秩序ある緑を置くという発想そのものが、ペルシャ庭園の核心だったのです。

世界遺産『ペルシャ式庭園』9つの構成資産

2011年にイランの『ペルシャ式庭園』として9つの構成資産が世界遺産に登録され、パサルガダエ、フィン庭園、エラム庭園などが代表例として知られるようになりました。
これらは個別の名園であると同時に、長い時間をかけて磨かれた様式の証拠でもあります。
ひとつの庭だけを見ても全体像はつかみにくいですが、9資産を並べると、同じ思想が地域と時代をまたいで生き続けたことが見えてきます。

この登録の意味は、単に保存対象が増えたことではありません。
パサルガダエに始まる四分庭園が、カナートの技術と結びつき、イスラム以後のチャハルバーグへ受け継がれ、さらに西と東へ伝播していく流れを、読者の頭の中に地図として描かせる点にあります。
ここを起点に、影響と交流の道筋を追うと、次の二章で見る各地の庭園や建築が、互いに孤立した例ではないことがはっきりしてきます。

西へ:アルハンブラ宮殿とイベリアの庭

項目 内容
名称 アルハンブラ宮殿とイベリアの庭
成立時期 1238年着工、約170年かけて完成したとされる
主要な見どころ ライオンの中庭、ヘネラリフェ離宮、アセキアの中庭
主題 イスラム文明の西方への伝播と、庭・建築・水の統合

アルハンブラ宮殿は、イベリア半島のイスラム王朝下で花開いた庭園文化の到達点として見ると輪郭がはっきりします。
1238年に着工し、約170年かけて完成したとされるその規模は、単なる王宮の枠を超え、庭と建築を一体の世界として磨き上げた長い時間の積み重ねでした。
西へ伝わったイスラム文明が、どこまで土地の風土と結びつきながら独自の美を作り上げたかを示す代表例です。

ライオンの中庭:十字の水路と噴水

ライオンの中庭では、12頭のライオン像が円形の水盤を支え、そこから水路が十字に伸びて四方の部屋へ水を導きます。
実際に水の流れをたどると、庭の中心から居室へ、さらに王宮全体へと空間が連続していく感覚があり、庭が単なる外部空間ではないことがよくわかりました。
ここにはチャハルバーグの理念が、四分割の象徴としてではなく、建築の動線と水の循環にまで落とし込まれているのです。

この構成が印象的なのは、装飾のための水ではなく、空間を組み立てるための水になっている点でしょう。
ライオン像の素朴さと、十字に分かれた水路の理知的な秩序が重なることで、支配者の威厳と楽園の静けさが同時に立ち上がります。
アルハンブラ宮殿の中心部に置かれたこの庭は、イスラム建築が幾何学と象徴性をどこまで高度に融合できるかを示す、きわめて明快な答えです。

ヘネラリフェ離宮と水の造形

14世紀頃に王族の避暑地として造営されたヘネラリフェ離宮は、アルハンブラ宮殿の中でもとりわけ庭園性が際立ちます。
建物より庭の面積が広く、主役が石造建築から樹木、泉、段状のテラスへと移っているところに、庭園文化が成熟した段階の到達を読み取れます。
支配するための宮殿というより、涼を得て景観を味わうための居場所へと重心が移っているのです。

段々に連なる庭を歩くと、アーチ状の噴水と糸杉の影がつくる涼やかさが、空気の流れまで設計に含めていることを教えてくれます。
取材の中では、北アフリカやイランの庭と通じる血脈もはっきり感じられました。
水を流し、影を落とし、視線を奥へ導くという作法は、遠く離れた地域であっても共通しており、イスラム世界の庭が共有する美意識の広がりを実感させます。

ネバダ山の雪解け水を引くアセキア

アセキアの中庭は、ネバダ山脈の雪解け水を高低差で引き込んだ水の庭として理解すると、その巧みさが見えてきます。
水路の両側からアーチ状に噴き上がる噴水は、ただ冷たさをもたらすだけではなく、水と光を細い線のように交差させ、動きそのものを装飾へ変えています。
自然の水源を遠くから引き、落差を利用して整える技術が、そのまま美に変換されているわけです。

こうした庭は、アラベスク文様やムカルナス(鍾乳石状装飾)と並んで、水と光で楽園を表現する装置として読めます。
建築の壁面、天井、そして庭の水面が別々に存在するのではなく、ひとつの世界観を分担して語っているのです。
アルハンブラ宮殿の内部を歩くと、庭は建物の付属物ではなく、世界の秩序を視覚化する中心的な要素だとわかります。

東へ:ムガル帝国とタージマハルの庭

バーブルが中央アジアからインドへムガル朝を開いたとき、そこには故地で育まれたペルシャ式庭園の記憶がありました。
新しい王朝は単に領土を広げただけではなく、四分庭園という秩序のかたちをインド亜大陸へ運び込んだのです。
その伝播の筋道をたどると、ムガル庭園が王権の装飾ではなく、理想の世界を地上に組み立てるための設計だったことが見えてきます。

バーブルが運んだ庭の様式

バーブルがムガル朝を開き、ペルシャ式庭園の伝統をインドにもたらしたことは、東方への文化移動の出発点として重要です。
砂漠とオアシス、乾いた大地と水の対比が強い地域で育った庭園観は、単なる植栽の技法ではなく、秩序ある宇宙を可視化する発想でした。
インドに入ったその様式は、気候も地勢も異なる土地で再解釈され、ムガル帝国の美意識を支える共通言語になっていきます。

ムガル庭園の基本は四分庭園です。
水路で十字に区切られた区画が中心軸をつくり、左右対称の構成が見る者に安定感を与える。
こうした庭は独立した景観ではなく、霊廟や宮殿と一体で造営されることが多く、建築と庭が互いを補い合う点に特色があります。
デリーのフマーユーン廟は、その関係を早い段階で示した代表例であり、後に続く造営の原型として読むことができます。

タージマハル:水路と霊廟の幾何学

タージマハルは1631年に没した王妃ムムターズ・マハルのため建設された白大理石の霊廟で、その前庭は水路で四分割されたチャハルバーグです。
中央水路には連なる噴水が配され、さらに中心に白大理石の池が置かれることで、建物そのものが水面へ引き寄せられるように見えます。
ここでは庭が背景ではなく、霊廟の意味を完成させる主役になっています。

実際に中央水路の先に白い霊廟が水面へ映る光景に立つと、幾何学と象徴がぴたりと重なった瞬間を目の前で確かめたような感覚がありました。
直線の水路、左右対称の区画、白大理石の反射が一つのリズムをつくり、楽園を地上に再現する意図が造形として結晶しているのです。
アルハンブラとタージマハルが同じ四分庭園の理念を共有する事実も、この庭の思想が大陸を越えて受け継がれた壮大さを伝えます。

フマーユーン廟と先行するムガル庭園

フマーユーン廟の庭を歩くと、タージマハルに先立つ四分庭園の原型が地上で確かめられます。
ここでは後代のようなきらびやかな完成度よりも、様式が段階的に洗練されていく過程そのものが見えてきます。
霊廟を囲む水の軸線、整えられた区画、建築と庭の結びつきが、ムガル庭園がどのように成熟したかを静かに語っているからです。

フマーユーン廟は、庭と墓の関係を単なる配置ではなく思想として定着させた先行例でした。
そこでは死者のための記念建造物が、楽園を思わせる秩序の中心に置かれます。
タージマハルがその到達点なら、フマーユーン廟は試行の段階を越えて確かな骨格を与えた場所だといえるでしょう。
ムガル帝国の四分庭園は、こうして一つの完成形に至るまでの長い熟成を経たのです。

日本庭園との違いから見えるイスラム庭園の世界観

イスラム庭園と日本庭園を比べると、両者が理想郷をどう形にするかは驚くほど異なります。
前者は左右対称の幾何学と直線の構成で秩序を見せ、後者は左右非対称や曲線を生かして自然のうねりを受け止めます。
その差は、単なる造園技法ではなく、世界をどう整え、どこに美を置くかという思想の違いにほかなりません。

対称と非対称:秩序のとらえ方

イスラム庭園では、左右対称の配置が空間に安定感を与えます。
中心線を通して全体を整える発想は、庭そのものを一つの秩序だった宇宙として見せるための方法です。
実際にイスラム圏の庭を巡ったあとに日本庭園へ入ると、同じ「理想郷」を目指していても、対称と非対称の選び方でここまで印象が変わるのかと改めて感じさせられます。
均整を強めるのか、ゆらぎを残すのか。
そこに文化の骨格が表れます。

日本庭園は、あえて左右非対称を大きな特徴とし、完全な均衡よりも、視線がほどよく揺れる構成を重んじます。
石や木の置き方に余白があり、見る側は一目で全体を把握するのではなく、歩きながら少しずつ受け取ることになるのです。
対称が「完成された秩序」を示すとすれば、非対称は「自然に近づくための余地」を残す手法だと言えるでしょう。

直線の水路と曲線の流れ

イスラム庭園の水路は、矩形や直線で引かれることが多く、流れそのものに幾何学の輪郭が与えられます。
水は単に飾りではなく、庭の軸を際立たせ、空間全体を貫く要素として働きます。
直線の水路は、人の手で自然を整えたというより、理想の秩序を視覚化したものです。
水が四方へ伸びる構成は、楽園のイメージを地上に映し出そうとする意志をはっきり示しています。

これに対して日本庭園では、曲線の流れや池が地形の起伏を写し取り、自然の呼吸に寄り添おうとします。
枯山水の前に座ったとき、水を使わずに自然を抽象化する発想が、絶えず水を流すイスラム庭園とは正反対の極にあると気づきました。
そこでは水の有無そのものよりも、自然をどう感じ取らせるかが問われています。
池の縁や砂紋のゆらぎは、人工の痕跡を消すためではなく、自然と人為の境目をやわらげるために置かれているのです。

理想郷の描き方の違い

イスラム庭園は、人の手による幾何学的秩序で理想郷を構築します。
そこでは自然をそのまま置くのではなく、整え、区切り、配することによって、秩序の中に安らぎを生み出します。
対して日本庭園は、大自然を母体にして、その中に調和を見いだす方向へ進みます。
どちらも理想を求めますが、前者が「再現」なら、後者は「共存」に近いでしょう。

この差の根底には、楽園を地上に再現するイスラムの宗教的世界観と、自然そのものに美と理想を見出す日本の感性があります。
イスラム庭園の幾何学性は、冷たい人工ではありません。
信仰に裏打ちされた秩序の美なのです。
日本庭園との対比を通すと、そのことがより鮮明に見えてきます。
庭は単なる景観ではなく、世界観そのものを映す鏡だと考えてみてください。

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遠藤 理沙

中東・地中海地域の文明史を専門とし、イスラム圏10カ国以上のフィールドワーク経験を持つ。モスク建築や幾何学文様など、イスラム美術・文明の魅力を伝えます。

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