十二イマーム派とは|シーア派主流の信仰
十二イマーム派とは|シーア派主流の信仰
十二イマーム派は、初代アリーから第12代マフディーまでの12人を、ムハンマドの血統を継ぐ無謬のイマームとして認めるシーア派の最大分派です。世界のシーア派のおよそ85%を占め、イランでは国教の中心にもなっているため、日本で単に「シーア派」と言うと、実際にはこの十二イマーム派を指すことが少なくありません。
十二イマーム派は、初代アリーから第12代マフディーまでの12人を、ムハンマドの血統を継ぐ無謬のイマームとして認めるシーア派の最大分派です。
世界のシーア派のおよそ85%を占め、イランでは国教の中心にもなっているため、日本で単に「シーア派」と言うと、実際にはこの十二イマーム派を指すことが少なくありません。
イスラム学を学び始めたとき、報道で目にする「シーア派」と学術書に出てくる「十二イマーム派」が同じ射程を持つと整理できるまで、筆者自身も少し時間を要しました。
十二イマーム派の理解では、アリーの血統に連なるイマーム観と、そこから派生する権威の構造を押さえることが出発点になります。
十二イマーム派とは|シーア派最大の分派
十二イマーム派は、初代アリーから第12代マフディーまでの12人をイマーム、つまり神に導かれた指導者として認めるシーア派の最大分派です。
世界のシーア派の約85%を占めるため、外から見るとシーア派そのもののように受け取られやすいのですが、実際には「シーア派」の内部にある中心的な一派だと押さえるのが正確です。
学生時代にシーア派とスンナ派の違いを「指導者の系譜の違い」とだけまとめて失敗したことがありますが、入れ子構造を十二イマーム派から見直すと、全体像はずっと整理しやすくなります。
『シーア派=十二イマーム派』と呼ばれる理由
十二イマーム派が「シーア派」の代名詞のように扱われるのは、単に人数が多いからではありません。
初代アリー、続くハサン、フサイン、そして第12代マフディーに至るまで、ムハンマドの血統を継ぐ12人のイマームを中心に信仰体系が組み立てられており、教義の厚みがそのまま宗派の存在感につながっているからです。
世界のシーア派のおよそ85%がこの分派に属する以上、日本の報道で単に「シーア派」と言ったとき、その多くは十二イマーム派を指していると考えて差し支えありません。
この宗派を軸に置くと、シーア派の理解が急に具体的になります。
イマームは礼拝の先導者という一般名詞ではなく、無謬の指導者として受け止められ、信仰と共同体の両方を支える存在になるからです。
シーア派のなかの「標準形」を知るという意味でも、まず十二イマーム派を押さえるのがおすすめです。
教義の中心にあるのは系譜であり、権威であり、そして共同体の記憶です。
イラン・イラクを中心とした分布
分布の中心はイランです。
イランは国教を十二イマーム派とし、人口の約89%がシーア派とされますが、この数字は単なる統計以上の意味を持っています。
現地では祝祭や追悼の日取りが宗教暦に深く結びつき、カルバラーの記憶やアーシューラーの追悼が生活のリズムに組み込まれています。
中東のニュースで「シーア派の国イラン」と紹介されるとき、その信仰が日常の暦や行事にどう根を張っているのかまで見えてくると、理解は一段深まるでしょう。
イランに加えて、イラクとアゼルバイジャンでもシーア派が多数派を占め、バーレーンでは国民のおよそ半数に及びます。
こうした地理的な広がりは、十二イマーム派が単なる思想体系ではなく、都市、儀礼、家族記憶まで含んだ社会的な基盤であることを示しています。
見た目の分布は地域ごとに異なっても、信徒が共有する中心の物語は強くつながっているのです。
実際に留学先で感じたのも、この信仰が本や講義だけでなく、暮らしの手触りとして生きているという感覚でした。
| 地域 | 状況 | 補足 |
|---|---|---|
| イラン | 国教が十二イマーム派、人口の約89%がシーア派 | 分布の中心 |
| イラク | シーア派が多数派 | 中東の主要拠点 |
| アゼルバイジャン | シーア派が多数派 | 北西方面の広がり |
| バーレーン | 国民のおよそ半数がシーア派 | 島嶼国家での存在感 |
スンナ派との人口比(イスラム全体の1〜2割がシーア派)
イスラム教全体で見ると、シーア派は1〜2割程度の少数派です。
ただし、その内部では十二イマーム派が圧倒的多数を占めるため、「少数派のなかの最大派」という位置づけになります。
ここを押さえると、スンナ派との比較で単純に二項対立へ流れず、シーア派の内部構造まで見えるようになります。
この視点は、宗派理解をかなり楽にしてくれます。
シーア派を大きな一枚岩として見るのではなく、まず十二イマーム派を中心に据え、そこからザイド派やイスマイール派との違いへ広げていくと、系譜の分岐も教義の差も整理しやすくなるからです。
シーア派を理解する出発点としてこの分派を押さえておくのは、おすすめです。
読解の軸が定まり、ニュースの見え方も変わってきます。
イマームとは何か|無謬の指導者という信仰
シーア派でいうイマームは、単なる礼拝の先導者ではなく、ムハンマドの後継者として共同体を導く無謬の指導者を指します。
十二イマーム派では、この地位が初代アリーから第12代マフディーまで、ムハンマドの血統に連なる12人へ継承されたと理解されます。
ここを押さえると、後のガイバやマフディー信仰も、歴史の枝葉ではなく教義の延長として見えてきます。
シーア派が言う『イマーム』とスンナ派の『イマーム』の違い
アラビア語の文献を読み始めた頃、同じ『イマーム』という語が、スンナ派の本では礼拝の先導者を指し、シーア派の本では無謬の指導者を指すことにかなり戸惑いました。
両派の原典を並べて読むと、同じ単語でも意味の重みが文脈で反転するのだと分かります。
だからこそ、語の定義を先に分けて理解することが重要になります。
スンナ派では『イマーム』は主にモスクで礼拝を先導する人を指す一般名詞で、そこに特別な無謬性は伴いません。
これに対してシーア派、特に十二イマーム派では、イマームは神の導きに基づいて共同体を正しく導く存在であり、信仰と共同体秩序の中心です。
同じ宗教用語でも、宗派が違えば役割そのものが変わるわけです。
| 観点 | シーア派のイマーム | スンナ派のイマーム |
|---|---|---|
| 基本的な意味 | ムハンマドの後継者として共同体を導く無謬の指導者 | 礼拝を先導する人 |
| 権威の性格 | 教義上の中心で、信仰理解の基準になる | 実務上の先導役 |
| 無謬性 | 認める | 認めない |
この差を理解すると、シーア派の信仰が「誰が正しく導くのか」という問いを強く抱えている理由が見えてきます。
単なる呼び名の違いではなく、共同体の正統性をどこに置くかという問題だからです。
無謬性(イスマ)とは何か
十二イマーム派は12人のイマームと預言者の娘ファーティマに無謬性(イスマ)を認めます。
イスマとは、罪と誤りから神によって守られている状態を指し、本人が機械のように間違えないという意味ではありません。
神の加護によって誤りに陥らない、というニュアンスで理解すると近いでしょう。
日本語に置き換えると、この概念はいつも少し難しくなります。
講義でも何度も感じてきたことですが、「間違えない」とだけ言うと硬すぎて、実際の教義の厚みが落ちてしまいます。
対訳を添えるなら、「神に守られて誤りに陥らない」と説明する方が、イマームの言行が共同体の規範になりうる根拠を伝えやすいです。
イスマが重要なのは、イマームの判断が単なる個人的見解ではなく、信徒が安心して従える基準になるからです。
法や信仰実践の細部まで、導く側に揺らぎがあれば共同体も揺らぎます。
だから十二イマーム派では、イマームの言葉が宗教的権威として重く扱われるのです。
ℹ️ Note
ここでのイスマは、道徳的に高潔という程度では足りません。罪と誤りから神に守られた指導性そのものが、教義の核になっています。
なぜムハンマドの血統でなければならないのか
ムハンマドの血統が重視される背景には、初代アリーがムハンマドの従兄弟であり、娘婿でもあったという事実があります。
十二イマーム派では、この近親性が単なる家系の誇示ではなく、預言者の教えを最も近く受け継ぐ資格の根拠と考えられました。
共同体を導く者が誰であるべきかをめぐる初期の対立が、後の分岐の出発点になります。
十二イマーム派の系譜では、661年に暗殺された初代アリー、680年にカルバラーの戦いで戦死した第3代フサイン、765年没の第6代ジャアファル・サーディク、そして874年に没した第11代ハサン・アスカリーへと、歴史の節目が続いていきます。
とくにフサインの命日アーシューラーは最大の追悼行事となり、ジャアファル・サーディクは法学体系を確立してジャアファル法学派の祖とされます。
系譜は単なる血縁図ではなく、信仰と法の歴史そのものなのです。
| 主要人物 | 年代 | 意味 |
|---|---|---|
| アリー | 661年に暗殺 | 正統な継承権の起点 |
| フサイン | 680年にカルバラーの戦いで戦死 | 追悼の中心、アーシューラーの根拠 |
| ジャアファル・サーディク | 765年没 | 法学体系の確立 |
| ハサン・アスカリー | 874年没 | 表向きの継承が途絶える節目 |
この血統観は、誰が正統な後継者かという問いに対するシーア派の答えでもあります。
ムハンマドの家族への忠誠は、権力争いの記憶を超えて、神に選ばれた導きへの信頼として受け継がれてきました。
だからこそ、イマームを理解することは、そのままシーア派の世界観を理解することにつながるのです。
12人のイマームの系譜|アリーからマフディーまで
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | 12人のイマームの系譜|アリーからマフディーまで |
| 位置づけ | 十二イマーム派の継承史 |
| 起点 | 初代アリー |
| 終点 | 第12代マフディー |
| 核となる主題 | 殉教、法学の確立、隠れへの移行 |
十二イマーム派の系譜は、単なる父子関係の連なりではありません。
初代アリーの殉教から、第3代フサインのカルバラーの悲劇、さらに第6代サーディクによる法学の確立へと、信仰の重心が歴史の節目ごとに移っていく流れです。
名前を一つずつ暗記するより、役割の転換点で束ねて覚えるほうが、この伝統は立体的に見えてきます。
初代アリーと殉教の系譜の始まり
系譜の起点は初代アリーです。
ムハンマドの従兄弟であり、娘ファーティマの夫でもある人物が、661年に暗殺され殉教したところから、十二イマーム派の物語は始まります。
第4代正統カリフという政治的位置づけと、殉教者としての記憶が重なっている点に、この系譜の特徴が凝縮されています。
ここで重要なのは、アリーが単なる初代の名簿上の出発点ではなく、後続のイマームたちを理解するための規範になっていることです。
忠誠、忍耐、正統性という要素が、この段階で既に打ち出されるからです。
十二イマーム派が「殉教の系譜」として読まれるとき、アリーの死はその最初の節目であり、以後の歴史を読むための基準線になるのだ。
カルバラーの悲劇と第3代フサイン
第2代ハサンと第3代フサインは、アリーとファーティマの子です。
なかでも第3代フサインは、680年にカルバラーの戦いでウマイヤ朝軍に敗れて戦死しました。
この出来事が特別なのは、単に一人の指導者が倒れたからではなく、正義と不服従の記憶が共同体の中心に残り続けたからです。
命日アーシューラー、すなわちムハッラム月10日は、現在も最大の追悼行事の核になっています。
映像でカルバラーの追悼行事を見たとき、1300年以上前の戦いがこれほど生々しい感情を伴って継承されていることに衝撃を受けました。
第3代フサインの死は、過去の悲劇として閉じていないのです。
むしろ、悼む行為そのものが信仰の実践であり、記憶を共同体の力に変える場になっています。
名前を12人並べて覚えるのが難しい学生には、まずアリー、フサイン、そしてこの悲劇を軸に置くと流れがつかみやすいでしょう。
第6代サーディクと法学の確立
第4代ザイン・アル・アービディーンから第10代ハーディーまで、イマームは政治的迫害の中で信仰と学問を継承しました。
この時期の中心は、権力を握ることではなく、共同体が何を拠り所に生きるかを整えることにあります。
その意味で、第6代ジャアファル・サーディク(765年没)の位置は決定的です。
彼は法学体系を確立し、十二イマーム派の法学がジャアファル法学派と呼ばれる祖になりました。
さらに第8代リダーが、アッバース朝下で要職を打診されたことも象徴的です。
権力側がその学識と権威を無視できなかったことを示すからです。
ただし、そこで重要なのは出世譚ではなく、迫害と取り込みの狭間でもイマームの権威が失われなかった点にあります。
殉教だけでなく、法学の形成もまた、この系譜を支えるもう一つの柱だと考えるとよいでしょう。
第11代アスカリーと第12代マフディーへの移行
第11代ハサン・アスカリーが874年に没すると、表向きの継承者が確認できなくなります。
ここで系譜は途切れたように見えますが、十二イマーム派は、幼い息子ムハンマドが第12代イマーム・マフディーとして存在し続けていると信じました。
この信念によって、目に見える指導者の不在は終わりではなく、次の段階への移行として理解されます。
この節目が重要なのは、十二イマーム派の歴史が「見える継承」から「隠れ」の物語へ接続するからです。
アリーの殉教から始まった系譜は、フサインの悲劇で感情の核を得て、サーディクで法学の形を持ち、アスカリーの死後にマフディーへの期待へと収斂します。
三人ずつ束ねて覚えるなら、殉教の起点、法学の確立、隠れへの移行、この三段階が骨格になるでしょう。
隠れイマーム(ガイバ)思想|マフディー再臨への待望
ガイバ思想は、第12代イマーム・マフディーが人々の前から姿を消したあとも、なお生きていると信じるところから始まります。
死ではなく、見えぬ次元に身を隠して導きを待つという理解が、十二イマーム派の終末論を支える核です。
隠された指導者を待ち続ける構図は、他宗教の再臨待望と響き合いますが、ここではそれが共同体の歴史意識と日々の信仰実践を形づくってきました。
ガイバ(お隠れ)とはどういう状態か
ガイバ(お隠れ)とは、第12代イマーム・マフディーが公の場から姿を消した状態を指します。
ここで強調されるのは、姿が見えないことと不在であることは同じではない、という点です。
十二イマーム派では、イマームは単なる政治指導者ではなく、神の導きを受け継ぐ存在ですから、その不在は共同体にとって空白ではなく、別のかたちでの臨在として理解されます。
だからこそ、ガイバは死去の言い換えではなく、世界の見えぬ次元に隠れて生き続けているという信仰として受け止められてきました。
この発想は、宗派の輪郭をもっとも鮮やかに示す特徴でもあります。
現前する権威だけを頼るのではなく、最後の時に再び現れる指導者を待つという視線が、神学と歴史をひと続きにしているのです。
筆者はこの思想を初めて説明されたとき、キリスト教の再臨待望とよく似た構図だと感じました。
終末に救済者が現れるという枠組みは宗教をまたいで見られますが、十二イマーム派ではそれがイマームの正統性と深く結びつき、信仰共同体の自己理解そのものになっています。
小ガイバ:4人の代理人を通じた間接統治
ガイバは一枚岩ではなく、874年頃に始まる『小ガイバ』と、そこから続く『大ガイバ』に分けられます。
『小ガイバ』の約69年間は、イマームがまったく沈黙した時代ではありませんでした。
4人の代理人(ナーイブ)が信徒との連絡役を担い、直接会えないイマームの意思を間接的に伝えたとされます。
ここにあるのは、姿を隠しながらも共同体とのつながりを保つという、きわめて緊張感のある統治の形です。
この時代が重要なのは、信仰が抽象論ではなく、実務の回路を持っていたからです。
代理人制度は、誰が正統な言葉を伝えるのか、誰が共同体の判断を支えるのかという問いに具体的な答えを与えました。
現地のモスクで、説教師がマフディー再臨に触れるたびに会衆が応答する場面を見たことがありますが、あの反応の土台にも、この「見えないが遠ざかりきってはいない」感覚があるのでしょう。
1100年以上も隠れが続くという信仰が、退屈な教義ではなく、今を生きる励ましとして働いているのが印象的でした.
大ガイバと終末のマフディー再臨
941年頃、第4代理人の死をもって代理は途絶え、『大ガイバ』が始まったとされています。
ここから先は、信徒とイマームの直接的な接触が断たれ、現在まで続く長い沈黙の時代になります。
終わりの時期について人間が断定できないこと自体が、この段階の本質です。
いつ終わるかは神のみぞ知るとされるため、共同体は「いま見えないからこそ、いずれ現れる」という張りつめた希望を持ち続けることになります。
信仰の終着点は再臨です。
マフディーは最後の審判の前に再び現れ、世界を覆う不正を打ち破って正義を確立すると信じられています。
ここで再臨は単なる未来予測ではなく、現世での倫理を支える力になります。
誰がイマームを代理するのか、いま誰の言葉を頼るのかという問いが生まれるのは、その待望が現実の共同体運営に接続しているからです。
次章のマルジャ制度は、まさにこの空白をどう埋めるかという問いから展開していきます。
他のシーア派分派との違い|なぜ『12』なのか
シーア派の分派は、同じ「アリーの家系を重んじる」立場に見えても、誰を正統なイマームと見るかで早くから枝分かれしました。
十二イマーム派の輪郭は、ザイド派とイスマイール派という二つの大きな分岐を並べて見ると、はっきり浮かび上がります。
ポイントは、どの代で道が分かれたかだけでなく、イマームに何を求めたのかという発想の違いにあります。
ザイド派との違い(第5代をめぐる分岐)
ザイド派は、第4代の子ザイドを支持したことに端を発し、第5代をめぐって分岐しました。
第5代をめぐる対立という覚え方をしておくと、十二イマーム派との距離が整理しやすくなります。
シーア派の分派を学ぶとき、一本の家系図に「どの代で道が分かれたか」を書き込むと混同しにくく、第5代で分かれたのがザイド派だと押さえると記憶が安定します。
教義面で目立つのは、ザイド派がイマームに無謬性(イスマ)を認めない点です。
つまり、イマームは絶対に誤らない存在ではなく、正義を掲げて行動する指導者として理解されます。
そのため、静かに系譜だけを継ぐのではなく、武装蜂起によって不正を正す姿勢が重んじられました。
無謬性をめぐる考え方の差は、単なる神学用語の違いではなく、共同体が理想の指導者像をどこに置くかを示しています。
イスマイール派との違い(第7代をめぐる分岐)
イスマイール派は、第6代ジャアファル・サーディクの後継をめぐって分岐しました。
サーディクが後継に指名していたイスマイールが先に没したため、多くの信者はムーサー・カーズィムを第7代としましたが、一部はイスマイールこそ正統だと主張し、第7代で袂を分かったのです。
ここでも分岐点を「第7代」と押さえると、ザイド派との違いと並べて理解しやすくなります。
イスマイール派は、無謬性を認める点で十二イマーム派に近い立場です。
イマームを単なる政治指導者ではなく、神学的な権威を帯びた存在として捉えるため、継承問題はそのまま教義の根幹に触れます。
学生に説明するとき、イスマイール派と聞くと過激なイメージを持つ人が少なくありませんが、実際には現代では平和的な共同体が中心だと伝えると驚かれます。
分派名に付いた印象と実像のずれは、こうした歴史的経緯をたどるとほどけていきます。
三派の比較で見える十二イマーム派の立ち位置
三派を並べてみると、十二イマーム派は「イマームは12人で打ち止めで、第12代は隠れている」という完結した系譜を持つ点で独自です。
無謬性を認めるのは十二イマーム派とイスマイール派ですが、ザイド派はそこを採りません。
さらに、イマーム数を明確に12人で閉じる枠組みを持つのは十二イマーム派だけで、その厳密さが名称と性格を決定づけています。
| 分派 | 分岐の焦点 | イマームへの考え方 | イマーム数 | 系譜の特徴 |
|---|---|---|---|---|
| ザイド派 | 第5代をめぐる分岐 | 無謬性(イスマ)を認めない | 非公表 | 武装蜂起による正義の実現を重んじる |
| イスマイール派 | 第7代をめぐる分岐 | 無謬性(イスマ)を認める | 非公表 | イスマイールの正統性を主張する系譜 |
| 十二イマーム派 | 第6代以後の継承を整理した完結形 | 無謬性(イスマ)を認める | 12人 | 第12代が隠れたまま続く体系 |
この表で見ると、十二イマーム派の立ち位置は「他派の中間」ではなく、独自の完結した型だと分かります。
ザイド派は行動する指導者像に重心があり、イスマイール派は神学的権威の継承を深め、十二イマーム派はそこに12人という上限を与えました。
家系図に第5代と第7代の分岐点を書き込んでみると、三派の違いは思った以上に整理しやすいでしょう。
現代の十二イマーム派|マルジャと法学者の役割
十二イマーム派では、隠れイマームが現世に姿を見せない以上、その導きは学識ある法学者が担うと考えられてきました。
信徒は生存するマルジャ・タクリード(模倣の源泉)を選び、その法判断に従って日常の宗教実践を整えます。
ここで働くのは、見えない権威を抽象的な理念のまま残さず、現代の判断へつなぎ直す仕組みです。
この構造を支えているのが、イラクのナジャフとイランのコムにある二大神学校(ハウザ)です。
両都市は学問の蓄積だけでなく、法学者を養成し、時代ごとのマルジャを生み出してきました。
さらに、この「法学者が隠れイマームを代理する」という発想は、現代イランの法学者統治論へも接続していきます。
マルジャ・タクリード(模倣の源泉)とは
マルジャ・タクリード(模倣の源泉)とは、信徒が日常の宗教判断で従うべき生存中の大アーヤトッラーを指します。
十二イマーム派では、細かな実践規範を自力で裁定するのではなく、学識を備えたムジュタヒド(法解釈の権威)の判断に従うタクリード(模倣)が求められます。
ここで大切なのは、マルジャは故人ではなく生存する人物でなければならない点です。
過去の判断を尊重しつつも、今ここで生きる社会の事情に即した解釈へ開いておくための規定だといえるでしょう。
この条件に初めて触れたとき、筆者は「生きている権威にしか従えない」という発想の合理性に驚きました。
故人の見解に固定されてしまえば、現実の変化に対して宗教実践が硬直しやすくなります。
逆に、生存するマルジャを選ぶ仕組みであれば、信徒はその時代の法学的判断を受け取りながら、1000年以上の隠れに耐える信仰を保てるからです。
制度の厳しさは、むしろ柔軟さを守るためにあるのです。
ナジャフとコム:二大学問の中心
ナジャフとコムは、シーア派学問を支える二つの中心地です。
ここに置かれた神学校(ハウザ)は、単に知識を教える場ではなく、法学者を鍛え、共同体の規範を更新し続ける実践の現場でもあります。
ナジャフはイラク、コムはイランにあり、両都市の名は学問の系譜を語るときに欠かせません。
比較すると、二つの都市は同じハウザであっても、学風や権威のまとまり方に微妙な差を持っています。
ナジャフとコムを訪れた研究者の話を聞くと、その違いと競合関係が今も生きていることがよくわかります。
教義書を読むだけでは見えない、学派どうしの緊張感や、そこで育つ学識の厚みがあるのです。
だからこそ、時代ごとに権威あるマルジャがそこから現れます。
| 項目 | ナジャフ | コム |
|---|---|---|
| 所在地 | イラク | イラン |
| 学問機関 | 二大神学校(ハウザ)の中心 | 二大神学校(ハウザ)の中心 |
| 役割 | 法学者養成と権威形成 | 法学者養成と権威形成 |
| 読み取れる特徴 | 伝統の厚みが強い | 現代的展開との接点が強い |
隠れイマームの代理としての法学者統治
「法学者が隠れイマームを代理する」という考え方は、宗教実践の指導にとどまらず、国家統治へも拡張されました。
これが現代イランの法学者統治論です。
隠れイマーム思想という古い神学が、政治制度の骨格にまで入り込んでいる点に、十二イマーム派の歴史的な深さがあります。
宗教的権威が個人の信仰生活を整えるだけでなく、共同体全体の秩序を形づくるわけです。
この発想の核心は、見えない正統性を現実の統治へどう橋渡しするかにあります。
隠れイマームが不在でも、法学者がその代理として導きを与えるなら、信徒は無秩序な状態に置かれません。
しかも、その導きはマルジャ・タクリードの制度と連動しているため、日常の礼拝や法律判断から政治の正統性まで、ひと続きの論理で説明できるのです。
現代イランを理解する入口として、ここは実におすすめです。
大学でイスラム学を専攻し、カイロ・イスタンブールへの留学経験を持つ。コーランのアラビア語原典を参照しながら、教義体系を平易な日本語で解説します。
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