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アフマディーヤとは|近代の改革派とその特徴
アフマディーヤは、1889年に英領インドのパンジャーブ地方カディヤーンで、ミルザー・グラーム・アフマドが40人の支持者から忠誠の誓いを受けて始まったイスラム内の改革・復興運動です。
ワッハーブ派とは|サウジを生んだ改革思想
ワッハーブ派は、18世紀半ばにアラビア半島内陸のナジュドで興ったイスラム改革運動であり、ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブ(1703〜1792)がコーランと預言者のスンナへの原点回帰を訴えたことに始まります。
スーフィー教団とは|メヴレヴィーと旋舞セマー
メヴレヴィー教団のセマーは、13世紀コンヤでジャラール・ウッディーン・ルーミーを名祖として形づくられた、イスラム神秘主義スーフィズムの儀礼である。8〜9世紀の中東に始まるスーフィーの伝統は、ズィクルと呼ばれる神の唱念を通じてファナー、自我の消滅と神との一体をめざし、その修行の道がタリーカとして教団を生んだ。
十二イマーム派とは|シーア派主流の信仰
十二イマーム派は、初代アリーから第12代マフディーまでの12人を、ムハンマドの血統を継ぐ無謬のイマームとして認めるシーア派の最大分派です。世界のシーア派のおよそ85%を占め、イランでは国教の中心にもなっているため、日本で単に「シーア派」と言うと、実際にはこの十二イマーム派を指すことが少なくありません。
マーリキー派とは|四大法学派の特徴と法源
マーリキー派は、スンナ派イスラム教の四大法学派のひとつで、マーリク・イブン・アナスが8世紀のメディナで形づくった法学の流れです。法学派(マズハブ)はイスラム法の導き方の違いであって優劣ではありませんが、その前提を押さえると、
イスマーイール派とは|シーア派第二の宗派をやさしく解説
イスマーイール派は、765年に第6代イマームのジャーファル・サーディクが没した際、その長子イスマーイールを正統な後継とみなした人々から生まれたシーア派の一派です。弟ムーサー・カーズィムを第7代とする多数派の十二イマーム派とここで分かれ、シーア派の中の分かれ道を形づくりました。
ハンバリー派とは|四大法学派で最も厳格な伝統主義
ハンバリー派は、9世紀バグダードのアフマド・イブン・ハンバル(780〜855年)に由来するスンナ派イスラーム法学の四大学派の一つです。四派の中では最後発かつ最小で、しばしば「最も厳格で伝統主義的」と評されますが、その意味は単なる保守性ではなく、クルアーンとハディースを法源の中心に据える方法論にあります。
シャーフィイー派とは|四大法学派と法源論
シャーフィイー派は、スンナ派の四大法学派のひとつであり、ムハンマド・ブン・イドリース・シャーフィイー(767〜820年)が法源を体系化して築いた法学の学統である。法学派とは、同じ信仰を実践に落とし込むための解釈方法の違いであり、教義の対立ではない。
イスラム天文学|星の名前とアストロラーベ
アラビア語に由来する恒星名は、アルデバラン、ベテルギウス、リゲル、アルタイル、ベガのように夜空でよく知られた星にまで広く残っている。IAUが認める固有名のうち210前後がアラビア語起源であり、その背景にはイスラム黄金時代に天文学が翻訳と観測の両面で大きく育った歴史がある。
イブン・スィーナーと『医学典範』が変えた医学史
イブン・スィーナーは、980年にブハラ近郊のアフシャナで生まれ、1037年にハマダーンで没した、ペルシアを代表する大学者です。医学・哲学・自然学・数学を横断して名を残し、「第二のアリストテレス」とまで呼ばれました。
イブン・ハイサム|近代科学を変えた光学者
イブン・ハイサムは、965年ごろに現在のイラク南部バスラに生まれ、ヨーロッパではラテン語名アルハゼンとして知られた万能学者であり、イスラム黄金時代に活躍した人物です。
ハナフィー派とは|四法学派で最大の学派
ハナフィー派とは、スンナ派イスラムにおける四大法学派(マズハブ)の一つで、最も古く、信徒数も最大とされる学派です。学派名はイラクのクーファで商人にして法学者として生きたアブー・ハニーファ、すなわちヌウマーン・ブン・サービト(699〜767年)に由来し、