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ナイジェリアのイスラム|西アフリカ最大のムスリム圏
ナイジェリアは、西アフリカ最大の人口を抱える国であり、その約半数がムスリムを占める、世界でも屈指のイスラム人口大国です。中東だけがイスラムの中心ではないという事実は、まずここで押さえておきたいところでしょう。 ナイジェリアのイスラムは征服ではなく、金と塩を運ぶサハラ縦断交易のなかで根づきました。
バングラデシュのイスラム|歴史と社会
バングラデシュは、2022年国勢調査で人口の約91%をムスリムが占める、南アジアでも際立ってイスラム色の濃い国です。ムスリム人口は約1億5500万人に達し、インドネシア、パキスタン、インドに次ぐ世界第4位規模でありながら、中東のイメージとは異なるベンガル・デルタでその宗教文化が育ってきました。
中央アジアのイスラム化|シルクロードと信仰
中央アジアのイスラム化とは、8世紀初頭のアラブ軍によるマー・ワラー・アンナフル征服に始まり、10世紀のトルコ系遊牧民の集団改宗で広く定着するまで、約3世紀をかけて進んだ漸進的な変化である。
モロッコのイスラム文化と歴史を読み解く
モロッコのイスラムは、マグリブ(西方イスラム)という枠組みでこそ、その姿がはっきり見えてきます。中東アラブ世界の延長ではなく、ベルベル人(アマズィグ)の社会の上にアラブのイスラムが重なり、スンニ派マリキ学派を軸にスーフィズムや聖者信仰が根づいた独自の宗教文化だといえるでしょう。
ムガル帝国とは|インドのイスラム王朝の興亡
ムガル帝国は、1526年に中央アジア出身のバーブルが第一次パーニーパットの戦いでデリー・スルタン朝最後のロディー朝を破ってデリーに築いたイスラム王朝である。名はペルシア語でモンゴルを意味する語に由来し、ティムールとチンギス・ハンの血筋を引くバーブルの出自も、この王朝の性格をよく示しています。
イスラム暦(ヒジュラ暦)とは|仕組みと月の名前
イスラム暦(ヒジュラ暦)は、月の満ち欠けだけで進む純粋な太陰暦で、1年が354日しかないため、西暦より約11日ずれていきます。だからこそ、毎年「今年のラマダーンはいつ始まるのか」が動き、季節と月名がぴたりと重ならない仕組みになっているのです。
サウジアラビアとイスラム|二聖モスクの国
サウジアラビアとは、イスラム最高の聖地マッカと第二の聖地マディーナという二大聖地をともに領内に抱える、世界でただ一つの国である。世界に20億人近いムスリムがいて、1日5回カアバの方角へ礼拝し、生涯に一度の巡礼を目指すことを思えば、この国が持つ重みは地理の説明だけでは尽きません。
イランのイスラム|なぜシーア派の国なのか
イランは、イスラム教世界で多数派のスンニ派ではなく、少数派のシーア派を国教に掲げる唯一の国です。世界のムスリムの約85〜90%がスンニ派であるのに対し、イランの人口の90〜95%はシーア派、とくに十二イマーム派を信仰しており、この逆転した構図にははっきりした歴史があります。
パキスタンのイスラム|成立と社会
パキスタンは、1947年に英領インドから独立したイスラム国家であり、2023年国勢調査では約2億4150万人を抱える世界第5位の人口大国です。正式名称のパキスタン・イスラム共和国が示す通り、この国では国家の自己定義そのものがイスラムと結びついていますが、その根はもっと深く、
イブン・バットゥータとは|中世最大の旅行家
イブン・バットゥータは、1304年にモロッコのタンジールで生まれた法学者であり、1325年から約30年にわたってアフリカ・アジア・ヨーロッパを旅した中世最大級の旅行家です。総移動距離は延べ12万kmを超え、マルコ・ポーロを上回る足跡を残しました。
エジプトのイスラム アズハルと中東の中心
エジプトは、人口の約9割をスンナ派ムスリムが占め、イスラム教を国教とする地域大国です。首都カイロは969年にファーティマ朝が築いた計画都市に起源を持ち、宗教・学術・政治の中心として長く機能してきました。
ムスリムの礼拝の方法|1日5回サラートの手順
サラートは、時間・向く方角・身体の動作がすべて定められたイスラム教の礼拝であり、思いつきの祈りとははっきり区別されます。筆者がカイロやイスタンブールでモスクや日常の場に礼拝を間近に見たときも、そこで見えてきたのは気持ちの高ぶりではなく、型を反復する静かな秩序でした。